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韓国時代劇歴史ドラマ事典 ち

冊封(チェクボン:책봉)

朝鮮に限定すれば中原の王朝(明または清)が朝鮮王を封じ立てることで、朝鮮王が王妃や世子などを封じるときにも使う。

本来の意味は中原の王が臣下に爵位を与えることで、起源は商の時代に遡る。その延長上に周辺国の王を諸侯国の王とした冊封体制がある。
※実際の発音はチェッポンに近い。

提調尚宮(チェジョサングン:제조상궁)
尚宮の最高位。女官長。

斉政閣(チェジョンガク:제정각)
昌徳宮(チャンドックン:창덕궁)の王の執務室である煕政堂(フィジョンダン:희정당)南側にある楼閣。
粛宗13年(1687年)に立てられた。ここに天体を観測する璇璣玉衡(ソンギオクヒョン:선기옥형)とを設置して、王が天体を観察して空の道(天の様子)を観察した。

就善堂(チソンダン/チュイソンダン:취선당)
昌慶宮(チャンギョングン:창경궁)にあった居住空間。チャン・ヒビンの住居として彼女の別名として使われることもある。
英祖32年(1756)に放火により焼失。犯人は思悼世子(サドセジャ:사도세자)とされている。

持平(チピョン:지평)
警察権を有する官庁・司憲府(サホンブ:사헌부)の官職。正5品で定員は2名。従3品執義(チビ)との間には正4品掌令(チャンリョン:장령)がいる。

集賢殿(チッピョンジョン:집현전)
高麗から続く学者養成と学問研究のための機関。世宗大王により拡張され、ハングルのみならず、数多くの文化的資料をも生み出した。

執義(チビ:집의)
警察権を有する官庁・司憲府(サホンブ:사헌부)の官職。従3品で司憲府の次官級の役職。定員は1名。正義を追求する気概が求められる役職であるため、この職を歴任すると出世の道が開けた。

至密尚宮(チミルサングン:지밀상궁)
王と王妃の身辺保護および起居,寝,食,衣など一切と物品管理および内侍府,内医院,内膳司らと重要な交渉を担当する。至密とは至厳かつ漏洩が許されないという意味。

寢殿(チムジョン:침전)
王が就寝する部屋。景福宮(キョンボックン:경복궁)では康寧殿(カンニョンジョン:강녕전)、昌徳宮(チャンドックン:창덕궁)では大造殿(テジョンジョン:대조전) ※大造殿は王と中殿兼用

左議政(チャイジョン/チャウィジョン:좌의정)
議政府(ウィジョンブ)に属して百官を統率して一般政治および外交の仕事を請けおった正一品位。 右議政より地位が上で、領議政の下になる。

慈駕(チャガ:자가)
嫁いで以降の姫(公主・翁主)の呼称。また、国王の後宮の内、正一品の嬪(ピン:빈)の呼称でもある。

左相(チャサン:좌상) =左議政

資善堂(チャソンダン:자선당)
景福宮にあった東宮殿。1427年に世宗が世子(のちの文宗)のために建てたもので世子嬪とともに生活した場所。

参賛(チャムチャン:참찬)
正二品の官職。左右がある。

参判(チャムパン:참판)
六曹それぞれのの次官として世宗が創設した官職。従二品。亜卿(アギョン:아경)ともいう。

佐平(チャッピョン:좌평) 
百済
の十六官等の第一位。達率・恩率とつづく。

掌楽院(チャンアグォン:장악원)
朝鮮時代の宮廷音楽を管掌した官庁。当初分散していた官庁を第7代世祖の時代あたりに一元化した。
現代においては国立音楽院に引き継がれている。

昌慶宮(チャンギョングン:창경궁)
朝鮮王朝の離宮。都城の東側にあったため、昌徳宮(チャンドックン:창덕궁)とともに東闕(トングォル:동궐)と呼ばれている。北側の昌徳宮とは隣接しており、中心は500mほどしか離れていない。景福宮とは1km程度離れている。
朝鮮後期の王族、思悼世子・正祖・純祖・憲宗が生まれた場所でもある。
チャン・ヒビンが居住していた就善堂(チソンダン:취선당)もここにあった。

醤庫(チャンゴ:장고)
宮中の味噌や醤油など醤の保管庫。

張子房(チャンジャバン:장자방)
漢の高祖・劉邦の策士、張良(チャンリョン:장량)のこと。
韓国では歴史上の策士を引き合いに出す場合、孔明よりも張子房のほうを多用する。

昌徳宮(チャンドックン:창덕궁)
かつては離宮だったが、壬辰倭乱(イムジンウェラン:임진왜란)で景福宮を含む都城の宮殿がほぼ全て消失したため、当宮を再建し光海君2年(1610年)にひとまず完了。その後、王朝の本宮として使用している。

壮勇衛(チャンヨンウィ:장용위)
1.中央軍の一つ忠武衛(チュンムウィ:충무위)に所属する兵種。1459年(世祖5)に設置された壮勇隊(チャンヨンデ:장용대)を、1475年(成宗6)に改称した。
2.1785(正祖9)に王の護衛のために創設された近衛部隊。定員は50名。のちに壮勇営に拡大改変。

壮勇営(チャンヨンヨン:장용영)
朝鮮後期の1793年(正祖17)に王権強化のために確立された軍営。壮勇衛を拡大したもの。世祖の死後、1802年に廃しされた。前身には1777年から1780年まで、一時的に設置された宿衛所(スギソ:숙위소)があるが、この官庁は洪国栄(ホン・グギョン)の失脚と共に廃止されている。

贓吏(チャンリ:장리)
国の財物を横領したり、賄賂を受け取った官吏のこと。自らが罪に問われるだけでなく、子は科挙を受けることができなくなり、孫も要職につくことができなくなった。

茺蔚(チュンウィ:충위)
益母草のこと。無月経、生理痛に作用するため、妊娠促進の薬として用いられる。

推鞫(チュグク:추국)
義禁府で王の特命により重罪人を尋問したこと。さらに思いに罪に対しては庭鞫や親鞫をひらく。

主君(チュグン:주군)
王やリーダーのこと。劇中の日本人役が殿に対して「主君」と言っていたりする。

主上 「チュサン:주상」
王のこと。→今上(クムサン:금상)

推刷都監(チュスェトガム:추쇄도감)
逃げた奴婢、賦役・軍役から逃げ出したものなどを探しだしたり、犯罪者の財産を没収するために設置された臨時官庁。

奏本(チュボン:주본)
中国皇帝に対して、中国からの問責や誤解を解くために奏上する書。重大事件などの報告もした。

推奴(チュノ:추노)
主人の家に居住して使役する家の内奴婢とは違い、主人の居住地外で独立生活をする奴婢がいた。使役をしない代わりに一定の布を捧げなければならない義務があったが、この貢布を徴収したことを推奴という。またはは逃げた奴婢を捜索して連行してくる者を指す。

周牢(チュリ:주리)
最も有名?な罪人への拷問の一種。椅子に座らせ両足を結び、二本の棒をスネの隙間に交差させてねじ込み締め上げた。ひどい時には骨が折れ、体力がない者は死に至った。
本来はチュレ(주뢰)と読むがチュリ(주리)と変化した

春坊(チュンバン:춘방)
世子の教育機関である世子侍講院(セジャシガンウォン:세자시강원)の別称。

中人(チュンイン:중인)
朝鮮時代に,両班(ヤンバン)と平民の中間にあった身分階級。世襲的な技術職や事務職に従事した人々で,15世紀から形成されて朝鮮末期には一つの独立した身分層を成し遂げた。技術官僚・下級官僚を輩出する階層。

中殿(チュンジョン:중전)
王妃。王妃の住む宮殿を指すこともある。

中宮殿(チュングンジョン:중궁전)
王妃が居住した宮殿。王妃を指すこともある。

中枢府(チュンチュブ:중추부)
特定の職務を持たず、文武の堂上官としての役目を持っていない人を所属させて待遇していた機関。

糟糠之妻 (チョガンジチョ:조강지처)
糟糠の妻(そうこうのつま)。日本と意味が同じで、苦楽を共にしてきた妻という意味。出典は中国の後漢書(宋弘伝)

抄啓文臣(チョゲムンシン:초계문신)
奎章閣(キュジャングク:규장각)で再教育を受けた文臣。年少で有望な官吏を選抜した。1781年(正祖5)開始され、1800年に正祖が死亡するまで10回にわたり、138人が輩出された。

祖功宗德(チョゴンジョンドク:조공종덕)
王の廟号を付ける際に、功があれば祖を、徳があれば宗を付ける。実際には有名無実化しているが、大きな争いや反正があった王には「祖」が付される傾向にある。 例)宣祖・仁祖

朝廷(チョジョン:조정)
朝廷

天下(チョナ:천하)
天下

典醫監  (チョンウィガン: 전의감)
医療行政と医学教育を管掌した官庁。

庭鞠(チョングク:정국)
王命により義禁府や司憲府で罪人を審問したこと。

銃筒衛(チョントンウィ:총통위)
銃火器を専門に扱う部隊・兵曹。1445年(世宗27)に設置されたが、文宗により分隊させられた。

殿下(チョンハ・チョナ:전하)
王を呼ぶ際に使った言葉。主上殿下(チュサンチョナ)とも言った。

邸下(チョハ:저하)
王世子・王世孫・王世弟を呼ぶ際に使った言葉。

程子冠(チョンジャグァン:정자관)
士大夫が室内で使用した山が重なったようなシルエットの網状の冠。(閻魔大王のイメージ) 網巾(マンゴン)の上に宕巾(タンゴン)をかぶり、さらに着用した。
清白吏(チョンベンニ:청백리)
上級官吏で且つ職務遂行能力も高く、清貧で道徳心も高い名臣のこと。朝鮮では217名が排出された。

卒哭祭(チョルゴクチェ:졸곡제)
死後100日目に行う祭祀。徐々に悲しみを減らすための儀礼。

従事官(チョンサグァン:종사관)
訓練都監や軍営・捕盗庁におかれた役職。従5~6品。各機構で起きたことを記録・伝達した。 捕盗庁の場合、罪人が述べた内容の真実の有無を確認するために、直接現場に降りて行った。または通信使(통신사)のように、適宜臨時に置かれた役職。

政事(チョンサ:정사)
まつりごと。政治。

正殿(チョンジョン:정전)
王があらわれ、朝参を受け、政令を発布し、外国からの使節を迎えるなどした宮殿。
景福宮(キョンボックン:경복궁)では勤政殿(クンジョンジョン:근정전)、昌徳宮(チャンドンクン:창덕궁)では仁政殿(インジョンジョン:인정전)、昌慶宮(チャンギョングン:창경궁)では通明殿(トンミョンジョン:통명전)

政承(チョンスン:정승)
高麗と朝鮮時代の文武百官の最も高い首相級官職。朝鮮時代には領議政と左右議政の三役をあわせて呼んだ。

政治(チョンチ:정치)
政治

千歳(チョンセ:천세)
千年にもなる歳月という意で永い歳月のことをいう。→万歳(マンセー:만세)

千秋萬歳(チョンチュマンセ:천추만세)
千万年の長い歳月。または長く生きることを祝寿する言葉。

宗親(チョンチン:종친)
王の親族で親等が近い者。 王と中殿の息子である「大君(テグン)」の子孫は王の玄孫(4代孫)までを、側室の子である「君(クン)」は王の曾孫(3代孫)までを封君して宗親として礼遇した。 同姓を「宗」、父系を「親」と称したことに由来する。
(子-1代孫、孫-2代孫、曾孫-3代孫、玄孫-4代孫)
宗親府には更に1代下まで残る。
良民出身の妾から生まれると品階を一段階、賤民出身の妾から生まれると更に一段階低くした。

賤民(チョンミン:천민)
卑しい身分の民。

丁酉再乱(チョンユチェラン:정유재란)
慶長の役。1597年からの秀吉の第2次朝鮮出兵。
1592年から始まった出兵は壬辰倭乱(イムジンウェラン:임진왜란)と呼ばれている。文禄の役。

七牌(チルペ:칠패)
朝鮮時代に都城にあった闇市である亂廛(乱廛:ナンジョン:난전)の名称。3大市場の一つ。現在の西小門外。
梨峴(イヒョン:이현)や鍾街(チョンガ:종가 :鍾路:チョンノ: 종로)とともにソウル最大の市場の一つだった。

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