仁顕王后(イニョンワンフ)は世子を変えようとしたのか?
2012/12/21
[ad#300-250]トンイ第47話のラストシーンで仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)は世子を取り変える意思を断言しないまでもそれとなく臭わせましたね。
子を設けることのできない禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)の子で世子・昀(ユン:윤)を廃して延礽君(ヨニングン:연잉군)昑(クム:금)を王位につけようというわけです。
このようなことは史実でもあったのでしょうか?
結論からいうと、そんな事はありませんでした。
まず、年齢を整理してみましょう。トンイ第47話のはちょうど西暦1700年を描いています。
昀(ユン:윤)は1688年10月27日生まれですので13歳です。そもそも13歳、日本式だと12歳、誕生日が来ていなければ11歳の小学生に当たる年齢の男の子に対して、将来子を設けることができるかどうかを論じる事自体がおかしな話ですよね?
ドラマの設定でも薬で何とかしようとしているため、生殖器に客観的な不具合があるとはされていません。となると病弱ということしかわからないのです。
景宗が多病無子だったワケとは?で紹介したエピソードもありますが、それが史実だとしても1年後の話です。
もちろん、このエピソードも後付けのもので、実際に多病無子が論じられたのは、彼が第20代景宗(キョンジョン:경종)として即位してからの話ですので20年ほど先のことです。
そもそも世子・昀(ユン:윤)は、正当性の担保として歴代朝鮮王朝で取られているように、仁顕王后(イニョンワンフ)の養子に入っていました。そして、あらゆる記録から見ても彼の優しさ・聡明さ・孝行心はすばらしく、仁顕王后も彼の実母・禧嬪張氏を猛烈に毛嫌いしていた反面、彼のことはとても気に入っていたことが確認できます。
このあたりはドラマ・トンイでの世子像そのままといえます。
実際のところ、世子・昀(ユン:윤)が脅威と畏怖を感じているのは仁顕王后ではなく、気分次第で何をするかわからない激情型のアバママ・粛宗(スクチョン:숙종)です。特に1年後以降はその存在に怯えながら生きていく事になります。
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