トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

景宗が多病無子だったワケとは?

      2014/01/17

[ad#300-250]トンイ第45話。「クムの大冒険」の第1章はいかがでしたでしょうか?

「けっこう泣けた!」という方も多かったのではないでしょうか?

46話はさらに倍です。お楽しみに!と言っても1週間待たなくてはいけないんですよね。韓国方式の放送だと連日なのですっきり楽しめるのですが、仕方ないですね。

 

さて、今回はトンイの息子・延礽君(ヨニングン:연잉군)昑(クム:금)の異腹兄の世子・昀(ユン:윤:後の景宗)も登場しましたね。

登場してまもなく倒れてましたが、彼が病弱だったのは事実です。

ドラマ内での設定ではすでに「世継ぎを望むのは難しい」と、多病無子(タビョンムジャ:다병무자)であることが明かされました。

これについては、面白いエピソードが外史にあります。

※史実にネタバレなしということで紹介しますが、禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)の最後について全く知らないという方はこの先を読まないでください!

 

禧嬪睾丸握りつぶし事件、または急所引っ張り事件

ついに賜薬(サヤク:王から賜る毒薬)を飲むこととなった禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)。

最後に息子の顔が見たいと懇願し、世子との対面が許されました。そのとき

「李氏王家を絶やしてやる」

と言い放ち、あろうことか息子の局部を握りつぶしました。(或いは強く引っ張った)

これが原因で世子は子供を設けることができなくなり、病弱に一層拍車がかかったのです。

 

このエピソードは「朝鮮王朝実録」にも「承政院日記」にも記載されてない外史です。(確認しました)

史実では、大臣に泣きながらすがりつき母への処分を撤回してくれるよう懇願しました。けれども、その願いはかなわず、母の死を目の当たりにしてしまいます。以降、世子は体調を崩しがちになりました。

そもそも、宿敵・淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)の元気な息子や、朴氏が産んだ王子昍(훤:フォン)のちの延齢君(ヨンニョングン:연령군)がいるため、李氏を絶やすことができなませんよね!

このことからも史実でないことは容易に想像できます。

 

このような流言飛語は、民衆のくだらない憶測によることもありますが、敵対勢力の老論(ノロン:노론)による工作の可能性もあります。子を設けることができないために、世子の座または王位から退くべきだという名分を得るために、このような飛語をはやらせた可能性があります。

それにしても、特筆すべきは、後世までこのようなエピソードが語られるほど、当時の禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)は民衆から憎まれていたということです。

彼女に同情的なイ・ビョンフン監督が彼女を美しく描いていることは、禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)にとって救いかもしれませんね!

 

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