トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

西人と南人、5000ウォンv.s.1000ウォン

      2012/12/21

[ad#300-250]ドラマトンイでの重要なファクターである派閥闘争。

粛宗(スクチョン:숙종)の時代には、西人(ソイン:)v.s.南人(ナミン:)の対立と、南人が没落したのちに西人が分裂した老論(ノロン:노론)v.s.少論(ソロン:소론)とがあります。

そもそもこの派閥はどういったものなのでしょうか?

派閥闘争の話を始めると長くなりすぎるため、ここでは簡単に説明します。

まず、西人(ソイン)ですが、栗谷(율곡)李珥(イ・イ:이이:1536-1584)の追随勢力、いわゆる畿湖学派(キホハクパ:기호학파)です。粛宗に賜死された宋時烈(ノン・シヨル:송시열)は彼の強烈な追随者です。

一方、南人(ナミン)はというと、東方の朱子とうたわれた退渓(テゲ:퇴계)李滉(イ・ファン:이황1501-1570)の追随勢力、いわゆる嶺南学派(ヨンナムハクパ:영남학파)です。

両者は性理学の理と気に関する考え方の違いから対立し、命のやり取りにまでつながる党争を繰り返しますが、現代の感覚では、くだらないことでやりあって政治的混乱をきたしていたことは否めません。

しかも、両派の祖となった当の本人たちは両者を認め合っていたので、後続の馬鹿さ加減には言葉もありまえん。

 

さて、話を表題の5000ウォンv.s.1000ウォンに戻しましょう。西人と南人の何が関係するのか???かもしれませんが、これは知っていると面白いことなのですよ!

では、画像を見てみましょう。

韓国ウォン

まずは5000ウォンですが、西人の祖となった学者、李珥(イ・イ)がモチーフとなっています。

方や1000ウォンですが、南人の基礎となった学者、李滉(イ・ファン)がモチーフとなっています。

これを知っていると、トンイで繰り広げられている派閥闘争も、ほのぼのと見られるかも知れませんね(笑)

逆に現金だけに殺伐とした冷たさを感じるかもしれませんが・・・。

 

[ad#336-280]ちなみに、50000ウォンは李珥(イ・イ)の母親で良妻賢母・画家にして詩人という超マルチな才能を持った申師任堂(シンサイムダン:신사임당)です。

朝鮮の長い歴史で女性の名前が残っているのは非常に珍しいのですが、それだけ彼女の評価が高かった事がわかると思います。

5000ウォンの母が50000ウォンなんて、ちょっと落ちのような話ですが(笑)

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