トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

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延齢君(ヨルリョングン) 粛宗に愛された第3の息子

      2013/03/17

[ad#300-250]フィクションを突っ走っているトンイ第53話。トンイは悪漢に切られちゃいましたね~(・・・汗)

フィクションだけに特別解説することもないので、今回はドラマに登場しない延齢君(ヨルリョングン)を紹介します。

第53話現在のトンイは1701年9月前後が舞台です。

延齢君(ヨルリョングン:연령군)昍(훤:フォン)は1699年6月13日にのちの榠嬪朴氏(ミョンビンパクシ:명빈박씨)の子として生まれました。粛宗(スクチョン:숙종)の6男ですが、3人は幼くして夭折していますので実質は世子・昀(ユン:윤)延礽君(ヨニングン:연잉군)に続く3男です。韓国式ではこの時3歳で延礽君とは5歳違いの弟です。

ドラマ内では延礽君(ヨニングン:연잉군)昑(クム:금)が粛宗の寵愛を受けていますが、記録を見ると一番可愛がったのは末っ子の延齢君(ヨルリョングン)だったとされています。

礼法的には6歳で君号を与えるのですが、彼には5歳で与えています。また、王の座も譲ろうとしたとも言われています。

これについては、元々末っ子を可愛がる傾向にある民族的慣習もあるし、母を5歳でなくした延齢君(ヨルリョングン)を不憫に感じたからではないかと思われます。とはいうものの、実際に偏愛の記録が残っており、婚姻による出宮の際に数万両を用意しました。

延礽君のときは2千両だったので、その差は歴然です。その差を臣下に咎められたことで粛宗は延礽君に豪邸を買い与え、延齢君の出宮の費用を正当化しました。

また、世子や延礽君(ヨニングン)との兄弟仲も非常に良いもので、粛宗の晩年には共同で世話もした記録が残っています。

ひょっとすると本気で王統を継承させるつもりだったのかもしれませんが、彼は粛宗よりも1年早く21歳で亡くなります。生き続けていたらいったいどうなっていたのでしょうね?

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