巫堂(ムーダン)とは?
2014/01/26
[ad#300-250]トンイ49話。
歴史的な引っ掛かりの無い内容なので、正直なところボクが語るべきことがありません。
そこで今回は、注目の的となっている巫堂(ムーダン:무당)について説明していきます。
巫堂とはシャーマニズムやその従事者の総称です。巫堂=巫女とする場合もありますが、男性の巫堂もいるので本来はイコールにはなりませんが、大半は巫女(ムニョ:무녀)です。
巫女神舞(ムニョシンム:무녀신무) 恵園(ヘウォン:혜원)申潤福(シン・ユンボク:신윤복) (ドラマ・風の絵師の主人公が描いた作品です)
また、地域によっても忠清道(チュンチョンド:충청도)では法師(ポプサ:법사)、全羅道(チョルラド:전라도)では丹骨(タンゴル:단골)、済州島(チェジュド:제주도)では神房(シムバン:심방)と名称が異なります。
三国時代のドラマを見ると、シャーマンの地位が高く、王でも不可侵な存在だったのがわかります。けれど、統一新羅時代に入ると仏教に押しやられて国教的地位から陥落してしまいます。高麗(コリョ:고려)時代も同様の扱いでしたが、それでも、地方に根付いて土着の宗教として十分機能していました。
巫堂(ムーダン)に鉄槌を下したのは朝鮮王朝が国教として採用した儒教でありその信奉者である儒者です。賤民層へ落とされるとともに村落のレベルでも活躍の場が失われ、個々人の依頼を受けるにとどまるようになりました。
先に紹介した恵園の絵のように、通常は歌舞で降神を行う巫女(ムニョ:무녀)と太鼓などで調子をとる拍手(パクス:박수)にわかれています。
百済(ペクチェ:백제)の故地・全羅道(チョルラド:전라도)は巫堂(ムーダン)が多い地域として知られていますが、パンソリ発祥の地でもあります。その形態も非常によく似通っているのが興味深いところです。
詳しくはパンソリの三拍子 騎馬民族の名残りを参照してください!
ちなみに、今回、巫堂(ムーダン)が呪詛を行った時に木片に書いていた文字は、驪興閔氏(ヨフンミンシ:여흥민씨)という仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)の本貫です。
あそこまで証拠を残すと、天の声にかかわらず面が割れそうな気もしますが・・・(笑)
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