李昑(イ・グム)登場 彼はいつ仕込まれたのか!?
2013/12/15
[ad#300-250]ついに、ついに李昑(イ・グム:이금)が登場しました。のちに延礽君(ヨニングン:연잉군)に冊封され、さらには第21代英祖(ヨンジョ:영조) となる人物です。
停滞気味だったストーリーと視聴率を見事に復活させたキャラクターで、個人的にもお気に入りです。
来週は特番で本編はありませんが、45・46話はバスタオル2枚用意しなければならないほど、この子に泣かされます(笑)
さて、ここのところ史実の順番を無視してストーリーが暴走気味だったドラマ・トンイですが、昑(クム)も誕生したことですし、このあたりで整理してみましょう。
まず、昑(クム)の兄・永壽(ヨンス:영수)が生まれたのが1693年10月6日です。永壽はわずか2ヶ月で夭折するのですが、ドラマでは100日のお祝いで粥をふるまっていますよね。少しだけ延命したようです。
そして、李昑(イ・グム)が生まれるのが1694年9月13日です。永壽が生きていれば実は年子でした。
ここで、「あれ?」と思った方も多いいのではないでしょうか?トンイが妊娠に気がついたのは8月6日です。妊娠3ヶ月目に気がついたとして、9月に生まれるなんてありえないですよね?
(なぜ8月6日なのか実録を見ても手がかりが全くないです)
となると、昑(クム)は1695年生まれの設定なのでしょうか?
昨日の放送でも6年後と字幕が出てましたが、先の回で粛宗(スクチョン:숙종)が「甲戌(カプスル)年に生まれた」と言っています。甲戌年は1694年ですので、昑(クム)の生誕年は史実の通りということになります。
とても矛盾に満ちていますが、唯一整合性を持たせる設定を想像してみました。それは、
トンイが出産1ヶ月前まで妊娠に気が付かなかった
という設定です。チマを履いているので周りも気が付かなかったし、トンイもいろいろなことがありすぎて気が付かなかったのです。かなり苦しいですが・・・(笑)
そして、粛宗はいつ昑(クム)をしこんだのか?
けっこう気になっている人が多い話題ですよね?泥酔した勢いなのか、それとも事前に宮で正規の手続きを踏まえてしこんだのか。
仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)が帰ってきたのが1694年の6月1日ですし、前述の設定を総合しても、随分前に仕込んだことがわかります。タイミング的には永壽(ヨンス)が無くなる前でしょう。
さすがに王の子だけお腹の中で早く育つということもないでしょうから、泥酔時説はないと思います(笑)
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