張禧嬪は隔離中!
2012/12/21
[ad#300-250]ドラマでのトンイの6年間の出宮はフィクションだと説明しました。
史実でもこの期間は、取り上げるべき事件は、1698年、トンイ3番目の息子の出産と夭折ぐらいで、大した起伏もない時期でした。
今回は史実の確認ではなくて、あえてドラマの内容を元にして、禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)について考察していきたいと思います。
トンイを追い出した禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)が6年間のさばっていたのでは?
こう思っている人も少なからずいるのではないでしょうか?けれども、禧嬪張氏は隔離されて村八分の状態だったのです。
この画像、以前も紹介しましたが、粛宗(スクチョン:숙종)の時代の本宮だった昌徳宮(チャンドックン:창덕궁)です。
粛宗の住む熙政堂(ヒジョンダン:희정당)と仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)の住む大造殿(テジョジョン:대조전)は対になっているので近いのは当たり前なのですが、トンイが住んでいた寶慶堂(ポギョンダン:보경당)もすぐ近くにあります。
一方、禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)の住む就善堂(チュイソンダン:취선당)は、画像では右下、壁を隔てた昌慶宮(チャンギョングン)側にあるのです。
これは、南人(ナミン:남인)の失墜により離れたところに追いやられたわけではなく、もともとは粛宗の寵愛が深かった頃に、老論(ノロン:노론)から保護する意図で離れたところに彼女の居所が作られたからなのです。
時代を下ると、あたかも用意されていたかのように、粛宗から離れた場所に住むこととなってしまいました。老論や粛宗も「元の場所に戻りなさい」という名分で、簡単に隔離することができたわけです。禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)にしてみると、まさに泣きっ面に蜂ですね!
前述したように、この空白の6年間は史実でも老論系中殿と後宮の女人天下で、トンイこと崔氏も3人目の子を産みました。
禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)は粛宗のお渡もなく、死んだように生きていました。
一度は女人天下を我が物にした禧嬪。その憎悪を募らせた次の展開。一体どうなることやら!
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