延礽君が中殿の養子に?大きな理論破綻
2014/04/27
[ad#300-250]トンイ59話。最終回直前のこの回ですが、個人的には蛇足だと思います。
禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)の死後、1話を総括に使って幕を閉じればきれいに収まったのではないかと思います。
56話以降はトンイこと淑嬪崔氏(スクビンチェシ:숙빈최씨)が宮廷から出ていくこと以外はほとんどがフィクションなんです。
もちろん、のちの歴史では延礽君(ヨニングン:연잉군)昑(クム:금)が世弟(セジェ:세제)になり、仁元王后(イノンワンフ/イヌォンワンフ:인원왕후)の養子になるので、それだけを取ると史実ではあるのですが、時期も理由も随分違います。
延礽君が世弟になった時期と理由
延礽君が世弟になるのは、世子・昀(ユン:윤:のちの景宗)が即位した翌年の1721年(景宗1)8月です。それに呼応して王統を継ぐ者として、その正当性を担保するために仁元王后の養子となりました。ドラマの舞台となっている年代とは約20年の開きがあります。
延礽君は確かに粛宗(スクチョン:숙종)の息子であるため、王位継承権はあるのですが、やはり母の出自が問題にされていました。
そのため、景宗(キョンジョン:경종)を取り巻く少論(ソロン:소론)や景宗の継妃・宣懿王后(ソニワンフ:선의왕후)は傍系の宗親(チョンチン:王族のこと)を養子に迎え、その子に王を継がせようと画策していたぐらいです。
傍系といっても母が両班であるほうが延礽君(ヨニングン)よりも格が高いと言えます。けれども、老論(ノロン:노론)のゴリ押しと王族の長老となった仁元王后(イヌォンワンフ)の後押しにより延礽君が世弟となったわけです。
ところで、トンイ59話では、仁元王后(イヌォンワンフ)が延礽君(ヨニングン)を養子に迎えることで、延礽君を守るという設定でしたが、これには大きな理論破綻があります。もしこの時点で上記の養子縁組が実行された場合、世子・昀(ユン:윤)が危険な状態に陥ります。
世子は仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)の養子であるため、現時点では内命婦(ネミョンブ)の後ろ盾がないのです。臣下は存命中の中殿の養子と、亡くなった中殿の養子のどちらを選択するでしょうか?考えるまでも無いですね。
それに、仁元王后(イヌォンワンフ)が延礽君(ヨニングン)を養子に迎えるという構図と、トンイが中殿(チュンジョン:중전)になるという構図は、全く変わらないんですよ。そのことで世子に危険が及ぶためトンイは中殿にならなかったはずなのに、結局、元の木阿弥になってしまったのです。
このことからもわかるように、ストーリーに説得力がなく製作者側のゴリ押しが否めないのです。トンイの後半はストライキなどのトラブルに見舞われて、構成を練る時間がなかったのは確かですが、それでも、残念ながら56話以降は蛇足だと言わざるをえません。
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