明聖王后と張禧嬪はなぜ共存しているの? トンイ第20話解説(あらすじ含む)
[ad#300-250]ハン・ヒョジュ、チ・ジニ主演、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソン出演の韓国時代劇トンイ(同伊:동이)の第20話の解説(あらすじ含む・ネタバレあり)です。
粛宗(スクチョン:숙종)の母・明聖王后(ミョンソンワンフ:명성왕후)が亡くなりました。ドラマ・トンイでは毒を盛られてなくなったことになっていますね。
奇しくも、現在韓国で放送中のでキム・テヒ、ユ・アイン主演・チャン・オクチョン(張玉貞 愛に生きる:チャン・オクチョン サランエサルダ:장옥정, 사랑에 살다)でも、毒を盛られてなくなりました。
けれど、実際には毒を盛られたわけではなく、風邪をこじらせて亡くなりました。
彼女が亡くなったのは1683年12月(陰暦)で粛宗が23歳の時です。一人息子の粛宗が原因不明の病に倒れ生死の境をさまよっていたため、彼女は懇意にしていた巫女を呼びます。
その巫女は、粛宗の快癒のためにはホッチマ(홑치마)姿になり水を浴びなければならないと言います。現代の感覚だと下着姿といったところでしょうか。とにかく薄着です。
そして彼女は巫女の言うとおりに真冬に水をかぶり体調を崩してしまいます。幸い粛宗の病は回復しましたが、それが原因で42歳という若さで亡くなったのです。
さて、ドラマ・トンイでも張玉貞 愛に生きるでも 、彼女が死去するときに禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)が禧嬪に柵封されている状態で登場するのですが、史実的にはとてもおかしいことです。
この時期オクチョンは明聖王后(ミョンソンワンフ)に王宮から追い出されているのです。そして、オクチョンが再入宮するのは明聖王后の三年喪が開けた1686年ですので、明聖王后が亡くなるときにオクチョンが王宮にいるのはおかしな話なのです。
ドラマ・トンイではすでに王子昀(ユン:윤)も生まれていますが、これは1688年10月27日ですので、5年ほどがごっちゃになっている状態です。また、男児を産んだ功により翌年『嬪(ピン:빈)』に冊封されています。
それでは、なぜ史実を曲げてまでこのような設定にしているのでしょうか?それは視聴率のためであり、その裏には嫁姑問題を題材にすると視聴率が稼ぎやすいという理由があるからです。
ドラマの視聴者層というのは年配の女性が圧倒的に多く、彼女たちに訴求すれば自ずと視聴率が上がります。そのため、週末ドラマでは、うんざりするほど嫁と姑の軋轢を題材にしていますが、それをこのドラマでも再現したのです。
朝鮮を代表する過保護ママ明聖王后(ミョンソンワンフ)が姑で、3大悪女の一人・禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)が嫁ならば、その軋轢は尋常ではありませんよね?
とはいうものの、無理な設定にしたにもかかわらず、さほど火花が散るシーンがなかったのは残念なところです。
第21話に続く
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