慕華館(モファグァン) トンイ第15話解説(あらすじ含む)
[ad#300-250]ハン・ヒョジュ、チ・ジニ主演、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソン出演の韓国時代劇トンイ(同伊:동이)の第15話の解説(あらすじ含む・ネタバレあり)です。
ついに粛宗(スクチョン:숙종)の正体を知ってしまったトンイ。
あらためて大殿に呼ばれ、粛宗と独対したトンイは支離滅裂で、主上媽媽(チュサンママ:주상마마)と間違った呼称を使ってしまいます。
このあたりのことは旧トンイ考にまとめていますので、こちらをご覧ください。 → トンイと王の呼称 第15話
さて、今回は清(しん)の使節団が滞在している慕華館(モファグァン:모화관)について説明します。
字面を見ても想像付くと思いますが、『中華を慕う館』です。
朝鮮建国の15年後、1407年に松都(ソンド:송도)にあった迎賓館を模倣して、西大門の外に建立されました。当初は慕華樓(モファル:모화루)と呼ばれていましたが、1429年(世宗11)に規模を拡大してこの時から慕華館(モファグァン)の名称となりました。
松都(ソンド)とはソウルから60kmほど北にある現在の開城(ケソン)で、過去には高麗(コリョ:고려)の首都でした。位置は景福宮(キョンボックン)の西1.5kmほどのところですが、粛宗(スクチョン)の時代は本宮が昌徳宮(チャンドックン)ですので、さらに1kmほど離れます。
朝鮮は外敵の侵入を恐れるあまり道路の整備をしていませんでしたが、中国との往来は必須だったため、国境の町・義州(ウィジュ)との往来のための義州路は発達していました。そして、義州路の帰着点には慕華館と対となる迎恩門(ヨンウンムン:영은문)がありました。
使者が来る際には、まず、2品以上の遠接使(ウォンジョプサ:원접사)が義州まで迎えに行きます。更に途中でも2品以上の者を送り、5箇所で宴会を開くという歓待ぶりでした。
また、使者が漢城府に到着する際には、世子(セジャ:세자)率いる百官が出迎え、帰国時にも百官による見送りが行われました。
慕華館(モファグァン)は1894年(高宗31年)日清戦争後に廃止されます。その後は独立協会のオフィスとして独立館と呼ばれるようになります。迎恩門もまた取り壊され、その場所には独立門が立てられ、両者とも500年間担っていた役目とは真反対のものに変わりました。
歴史的に重要な役目を果たした慕華館(モファグァン)ですが、屈辱の歴史の象徴ということで、現在はその姿を留めていません。(近年再建された独立館は存在する)
右が独立門で、左は柱だけが残され上部は破壊された迎恩門(ヨンウンムン)です。そして、真ん中にある建物が独立館となった旧慕華館(モファグァン)です。
場外ということもあり閑散とした場所だったことがわかります。
第16話に続く
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