小学・大学・中庸の内容の差は何だったのか? トンイ第47話解説(あらすじ含む)
[ad#300-250]ハン・ヒョジュ、チ・ジニ主演、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソン出演の韓国時代劇トンイ(同伊:동이)の第47話の解説(あらすじ含む・ネタバレあり)です。
トンイが宮廷に戻り、従二品(チョンイプム:종2품)淑儀(スグィ:숙의)に冊封されました。
そして、昑(クム:금)もまた、延礽君(ヨニングン:연잉군)に封じられました。
出来の良い王子は世子(セジャ:세자)の敵となるのが歴史の摂理ということで、能ある鷹の爪を隠そうとしたトンイですが、母への冒涜と父への承認欲求から、クムは小学以外ならダメと言われてないと、大学を諳んじました。
このシーンは子供らしくなんとも言えない良い描写です。
さて、今回は、儒教の書物である小学・大学・中庸について触れたいと思います。名前が小学と大学なので、小用学生用と大学生用だと勘違いしている人がいるとかいないとか。
あながち間違いではありませんが、一応きっちりと抑えておきましょう。
その前に朝鮮儒教の前提を抑えておきましょう。基本的に朝鮮で儒学といえば朱子学を指します。中国が宋の時代だった頃の南宋の朱熹(1130-1200)が体系をまとめたものです。
そのため、教科書であるこれらの書物はすべて中国由来のもので漢文で書かれています。
小学(ソハク:소학)
朱熹が劉子澄に編纂させた儒学の入門書です。1187年に成立したこの書物は内篇4巻・外篇2巻の計6巻からなります。
朝鮮では8歳のころから小学により儒学を学びました。名前だけ見ると簡単な書のように感じていしまいますが、青年期まで通読するべき内容で、成均館に入学するには、この書の熟知が必須でした。
朱熹は、『小学』は家を建てる時、地ならしをして材木を準備することであり、『大学』はその場所に材木で家を作ることになると比喩しており、『小学』が人間教育の土台になることを強調しています。
大学(テハク:대학)
大学は礼記(らいき)の大学篇が独立したもので、朱熹によって独立と四書への加算がなされました。四書の最初に読むべき儒学の本格的な入門書です。
半島には高麗(コリョ:고려)末期の恭愍王(コンミンワン)の御代1370年に入ってきたとされています。
中庸(チュンヨン:중용)
この書も礼記(らいき)の一篇で、朱熹によって独立と四書への加算がなされました。四書の中でも最後に読むべきものとされ、偏りのない徳について述べられている書物です。
日本語にもすっかり定着しているので、個人的には中庸(ちゅうよう)という言葉を少なからず使います。
これらの書が独立した背景には当時の南宋の思想の闘争があります。仏教や道教が広まりそれに対向するために、朱熹が生理学を確立する一環として取り上げられたのです。
朱熹の時代と粛宗(スクチョン:숙종)の時代には500年以上の開きがあります。その時間的隔たりにも関わらず生理学の書が朝鮮で重要視されたあたり、この時代の時の流れが緩やかだったことを、改めて感じさせられます。
ちなみに、クムが大学まで諳んじたというのは、どのレベルなのかというと、現代の大学の教科書をマスターしてしまったレベルでしょう。しかも、独学ですから超天才です(笑)
【参考】 韓国歴史年表トンイ編 ・・・ 粛宗代の史実年表。性格的にあらすじのネタバレも含まれます。
第47話に続く
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