内旨標信は実際にあったのか?当時本当に謀反は起きていたのか?千の風になって韓国版 トンイ第59話解説(あらすじ含む)
2014/04/28
[ad#300-250]ハン・ヒョジュ、チ・ジニ主演、イ・ソヨン、ペ・スビン、パク・ハソン出演の韓国時代劇トンイ(同伊:동이)の第59話の解説(あらすじ含む・ネタバレあり)です。
チャン・ムヨルと少論(ソロン:소론)の領袖たちの悪事が明るみになり、捕縛された上で死罪となりました。
チャン・ムヨルの存在はもちろんフィクションですが、このころ実際に謀反は起きていたのでしょうか?
また、内旨標信は実際にあったのでしょうか?
延礽君が中殿の養子に?大きな理論破綻(BS放送時の59話の記事:ちょっと辛口:笑)
内旨標信(ネジピョシン:내지표신)は実際にあったのか?
結論から言うとありました。また、ドラマで描写されたとおりの使われ方をしました。定義は以下のとおりです。
軍国の緊急事態に関係することが発生した時、王や世子(セジャ:세자)がすべて都城(トソン:도성)を離れて外に留まっており、宣伝標信(ソンジョンピョシン:선전표신)や徽旨標信(フィジピョシン:휘지표신)を下せない場合、宮中に残っている王妃が代わりに挙行するために使った標信。
形はとがっていて一面に『内旨』と書かれ、他の一面には『御押(オアプ:어압)』をする。内旨牌(ネジベ:내지패)ともいう。※御押とは、平たく言うと王のサイン。
ドラマ内では宮中に世子はいましたが、まだ幼いという理由で仁元王后(イノンワンフ/イヌォンワンフ:인원왕후)が内旨標信を使ったのでしょう。
けれど、仁元王后は1687年生まれで、1688年生まれの世子昀(ユン:윤)とは1歳しか変わらないし、世子は17歳だったため、もしこのような緊急事態が起きれば、世子が取り仕切るはずです。
宮中での経験も長く、政務を司るための教育も受けてもいます。また、粛宗(スクチョン:숙종)は14歳で即位し垂簾聴政(スリョムチョンジョン:수렴청정)も受けずに政を行っているため、慣例に従う意味でもそれが当然な流れでしょう。
当時本当に謀反は起きていたのか?
結論から言うと当時は比較的平和な頃でした。
1701年に禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)が賜死させられて以降は、さすがに王の機嫌を損ねると逆らうと命が危ういということを臣下たちは悟ったようです。
また、粛宗も44歳となり在位も30年目であるため、政治手腕も円熟期に入っていた頃です。そのため、王権は他の王に比べると比類ないほど強靭となっており、多少の小競り合いはあったものの、盤石な体制が続いていました。
この頃は完全に老論(ノロン:노론)V.S.少論(ソロン:소론)の状態が続いており、延礽君(ヨニングン:연잉군)昑(クム:금)または弟の延齢君(ヨルリョングン:연령군)を担ぐ老論が優位であり、政権も掌握していました。
けれど、臣下のパワーバランスを絶妙にコントロールする粛宗は、時には南人(ナミン:남인)をそこに絡めて、王権の弱体化を防いでいました。
千の風になって韓国版 イム・ヒョンジュ:임형주
唐突かと思われた方もいるかもしれませんが、先日起きたセウォル号横転沈没事故による犠牲者鎮魂のために、千の風になって(チョンゲエ パラミ テオ:천개의 바람이 되어)が流されています。
日本語の歌詞とは若干違うところもありますが、大まかには同じ内容です。日本語では『お墓』という名詞にインパクトが有りましたが、そこは写真となっています。
この歌を歌うのが、トンイのOSTでは愛別離(エビョルリ:애별리)を歌っていイム・ヒョンジュ(임형주)です。
故人の冥福をお祈りするとともに、紹介させていただきました。
関連ページ 愛別離(エビョルリ:애별리)
【参考】 韓国歴史年表トンイ編 ・・・ 粛宗代の史実年表。性格的にあらすじのネタバレも含まれます。
第59話に続く
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