トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦い

トンイ考2 チャン・ヒビンとの戦いはトンイ考の後続サイトです。韓国時代劇トンイについて歴史的背景などを考察します。

トンイ第5回のウンピョン君って誰?

      2012/12/21

[ad#300-250]トンイ第5回、音変(ウムピョン)が起きたのがまさにウンピョン君(은평군)の誕生祝いの宴でしたね。mixiのトンイ・コミュで「誰?」という質問があったので調べて見ました。

残念ながらビンゴな回答は得られませんでしたが、そんな事では終わることができません!

というわけで、推理して見ました。

 

まず、韓国の掲示板などには「粛宗の架空の息子」とありましたが、それは絶対にありえません。そもそも朝鮮王室は、先代も粛宗も男子一人っ子。少子化に苦しんでいた王室に庶子といえども直系の子が生まれたのなら、決して手放すはずがありません。なのでこの説は却下です。

 

そもそも君(クン:군)とはなんなのでしょうか?

中殿(チュンジョン:중전)から生まれた男子は大君(テグン:대군)で、後宮から生まれた男子は君(クン:군)ですね!ここまではよく知られていると思いますが、では、大君や君の子孫はどうなるのかというと、意外と知らないのではないかと思います。

大君の家系は王の玄孫(やしゃご)までですから、孫(3代孫)・曾孫(4代孫)・玄孫(5代孫)が君(クン:군)を名乗ることができます。君の家系は曾孫(4代孫)までです。

このことからもわかるように、君号を持つ王族は少なからずいるのです。

また、功臣にも君号が下されることがあるので、臣下の中にも~君と名乗るものもいます。

ちなみに外戚を管理する敦寧府(トンニョンブ:돈령부)には君号はありません。なので、父方の血筋・宗親(チョンチン:종친)の中に前述のウンピョン君(은평군)がいるはずなのです。

 

粛宗(スクチョン:숙종)の時代、最も有名なのは東平君(トンピョングン:동평군)です。粛宗と1歳しか違わない1660年生まれです。

粛宗は第16代仁祖(インジョ)の曾孫ですが、彼は孫に当たります。粛宗が兄のように慕っていた彼には1686年に生まれた李炤(イ・ソン)という息子がいます。ただ、曾孫までは君号を与えるのが通例なので、そのような地位から臣下に下ることがあったのかどうかは不明です。

他にも候補がいます。というか、多すぎです。君号付きとなると、仁祖(インジョ)の末の息子・麟坪大君(インピョンテグン:인평대군)に4人の息子がおり、その息子たちが君号を持っていたはずです。(記録は確認できませんでした)

ただ、4兄弟の3人は謀反の咎で死を賜っているので、連座制でその息子たちも官奴にされている可能性もあります。後年、東平君に謀反の咎で賜死となったとき息子には連座制を適用しなかったため、この時にも免責されているかも知れません。

その他にも、第14代宣祖(ソンジョ:선조)の息子たちの子孫の可能性もあります。

このように、君号を持つ王族が少なからずいるし、孫・曾孫世代の君は、ほとんど記録が残っていないため、残念ながら断定はできません。ただ、先述の東平君の息子と、麟坪大君の4男福平君には「平(ピョン)」の字があるため、ウンピョン君はどちらかの血筋ではないかと思います。漢字にするとウンピョン君は恩平君となるかもしれません。

 

ここまで推理しておいて、まるっきり架空だったら笑ってしまいますが(笑)

トンイ第5話の頃のトンイはまだ下働きをしています。映像を見ながらトンイも成長したなとしみじみと思ってしまいました(笑)

当ページの短縮URL  https://kjidai.com/tongyi/?p=49

 

[ad#336-280]

 - トンイ , ,