王になった男 年表
2013/03/10
王になった男(原題:光海 王になった男:クァンヘ, ワンイデンナムジャ:광해, 왕이 된 남자)の視聴をアシストするための年表です。
史実ですので、当然ながら王になった男のあらすじが含まれます。
けれど、年表を見た上で視聴したほうが理解度が増すため、ネタバレを気にせず読んでいただくことをおすすめします。
- 1569年11月3日 許筠(ホ・ギュン:허균)誕生
- 1572 or 74年 実兄・臨海君(イメグン:임해군)誕生
- 1575年4月25日 光海君(クァンヘグン:광해군)、宣祖(ソンジョ:선조)と恭嬪金氏(コンビンキムシ:공빈 김씨)の間に生まれる。庶子であり、宣祖の次男。
- 1577年5月27日 母・恭嬪金氏死去
- 1592年 秀吉の朝鮮出兵・壬辰倭乱(イムジンウェラン:임진왜란)
- 1597年 秀吉軍再来・丁酉再乱( チョンユチェラン:정유재란)
- 1602年 仁穆王后 金氏(インモクワンフ キムシ:인목왕후 김씨)が宣祖(ソンジョ)の継妃となる
- 1606年 宣祖と仁穆王后の子で嫡出長男・永昌大君(ヨンチャンデグン:영창대군)誕生
- 1608年2月2日 光海君(クァンヘグン)、王となる
- 1608年 京畿道に大同法(テドンポプ:대동법)を施行。税制の歪みを一部是正する。
- 1608年 許筠(ホ・ギュン)、姉・許蘭雪軒(ホ・ナンソロン:허난설헌)の詩集を明で出版。大反響を受ける。
- 1609年 臨海君、流刑先で死去
- 1610年 許浚(ホ・ジュン:허준) 東医宝鑑(トンイボガム:동의보감)を完成させる
- 1612年 許筠(ホ・ギュン)、朝鮮初のハングル小説・洪吉童伝(ホンギルドンジョン:홍길동전)執筆
- 1614年 永昌大君、蒸殺される
- 王になった男の舞台はこの頃。けれど、実際には許筠(ホ・ギュン)は都承旨(トスンジ:도승지)にはなっていない。1614年に同副承旨(トンブスンジ:동부승지)になった後は明に2度使者として派遣され、帰国後に刑曹判書(ヒョンジョパンソ:형조판서)に昇進している。
- 1618年 当時大妃だった仁穆王后 金氏(インモクワンフ キムシ:인목왕후 김씨)を廃妃とし西宮(ソグン)に幽閉
- 1618年8月24日 許筠(ホ・ギュン)、謀反の嫌疑をかけられ陵遲處斬(ヌンジチョチャム:능지처참)の刑により死去。
- 1623年3月12日 仁祖反正(インジョ パンジョン:인조반정)により王の位を追われる。李爾瞻(イ・イチョム)ら大北(テブク:대북)は粛清され西人(ソイン:서인)が実権を握る。
- 1636年12月 清による第2次朝鮮侵攻、丙子胡乱(ピョンジャホラン:병자호란)勃発
- 1641年7月1日 光海君死去
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