王女の男17話 端宗復位運動とは?
2012/11/26
王女の男(原題:公主の男:コンジュエ ナムジャ:공주의 남자)17話。
1455年閏6月11日、首陽大君(スヤンテグン:수양대군)が王位につき、端宗(タンジョン:단종)は上王(サンワン:상왕)となりました。
けれども、忠義を尊ぶ臣下たちにとっては看過し得ないことでした。そこで、これ以降、端宗復位運動が展開されることとなります。この中心になったのが、のちに死六臣(サユクシン:사육신)と呼ばれる忠臣たちでした。
彼らのほとんどが朝鮮初期のシンクタンク集賢殿(チッピョンジョン:집현전)出身の秀才たちでした。以下に名称と当時の役職を列記します。
- 成三問(ソン・サンムン:성삼문:1418-1456) 正3品・左副承旨(チャブスンジ:좌부승지)
- 朴彭年(パク・ペンニョン:박팽년:1417-1456) 従2品・刑曹参判(ヒョンジョチャムパン:형조참판)
- 河緯地(ハ・ウィジ:하위지:1412-1456) 従2品・礼曹参判(イェジョチャンパン:예조참판)
- 李塏(イ・ゲ:이개:1417-1456) 従3品・直提学(チクジェハク:직제학) おそらく集賢殿
- 柳誠源(ユ・ソンウォン:유성원:?-1456) 正4品・直集賢殿(チクチッピョンジョン:직집현전)
- 兪應孚(ユ・ウンブ:유응부:?-1456) 従2品・同知中樞院事(トンジチュンチュウォンサ:동지중추원사) ※彼のみ集賢殿出身ではない
また、成三問の父で武人の成勝(ソン・スン:성승:?-1456)前都摠管(トチョングァン:도총관)も復位運動に参加しています。(当時、世祖が即位したことへの不満から病気だと偽り職を辞していた)
スンユの親友で駙馬(プマ:부마)の鄭悰(チョン・ジョン:정종)は流刑中ですので、そもそもこの計画には参加していません。けれども、後にとばっちりを受けることとなります。
集賢殿出身者たちは特に第4代世宗(セジョン:세종)に非常に可愛がられた秀才たちです。世宗は生前、幼い孫(端宗)を集賢殿に連れて行き、学士たちに直接この子を頼むと、将来即位した暁には忠義を尽くしてくれと言っていました。
その御名を果たすための行動がまさに端宗復位運動だったわけですが、いかんせん、文高武低な集団でした。
今後もドラマのストーリーの進行に合わせて死六臣(サユクシン:사육신)の話をしていきます。
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