王女の男 第10話 首陽はなぜ王族なのに領議政になれたのか?
2012/11/26
王女の男(原題:公主の男:コンジュエ ナムジャ:공주의 남자)第10話。
癸酉靖難(ケユジョンナン:계유정난) 後の体制は完全に首陽大君(スヤンデグン:수양대군)の独壇場となっていきます。
ドラマ内では朝廷のトップ領議政(ヨンイジョン:영의정)に推挙されるところが描写されていました。
けれども、実際には領議政(ヨンイジョン)だけでなく、領經筵書雲觀事(ヨンギョンヨン ソウングァンサ:영경연 서운관사)と兼判吏兵曹事(キョムパニビョンジョサ:겸판이병조사)、中外兵馬都統使(チュンウェビョンマドトンサ:중외병마도통사)に就任しています。
何やら難しい言葉が並んでわかりにくいですね!
領經筵書雲觀事は領議政に付属してついてくるものなのでさらりと流します。兼判吏兵曹事は他のドラマにもよく登場する人事の大臣・吏曹判書(イジョパンソ:이조판서)と軍権を持つ大臣・兵曹判書(ピョンジョパンソ:병조판서)両方の権限を持つ役職です。中外兵馬都統使も包括的な軍権を持つ役職です。
このことからもわかるように、首陽は政と軍の両大権を一手に握ったのです。しかも領議政(ヨンイジョン)になったのは癸酉靖難(ケユジョンナン)の翌日1453年10月11日で、中外兵馬都統使になったのが26日でした。
ちなみに、他のドラマでも便宜上、領議政(ヨンイジョン)と言っていますが、実際には首陽が即位したのちの1466年(世祖 12年)以降、この名称になりました。実際にはこの頃は領議政府事(ヨンイジョンブサ:영의정부사)と言っていました。
1392年に建国した朝鮮ですが、各種制度が確立されたのは首陽が王位についた後のことで、これについては世祖(セジョ:세종)の功績が大きいとの評価が通説です。完全に朝鮮としての形ができたのは彼の孫・第9代成宗(ソンジョン:성종)の治世と言われていますので、90~100年かけて制度が確立されたことになります。現代の時の流れでは考えられない遅さですね!
今回のテーマ「首陽はなぜ王族なのに領議政になれたのか?」ですが、朝鮮時代にそれなりに造形の深いドラマファンは「朝鮮では王族は官職につけない」と、思っているのではないでしょうか?けれども、上記がまさにその答えで、朝鮮の制度が完全に確立されるまでは、王族が官職についてはいけないという明確な規定がなかったのです。
世祖(セジョ)もまた、甥の亀城君(クィソングン:귀성군)李浚(イ・ジュン:이준)を領議政に任命しています。※クソングン(구성군)とも。この時代、亀の字は 「ク」と読んでいたこともあるのです。
それではなぜ王族が官職につくことができなくなったのでしょうか?まさに因果応報というべきで、原因は首陽自身にありました。自分がイレギュラーな簒奪で王位についたため、子や孫の時代に再び類似した状況が起きる可能性が否定できなかったのです。
特に甥の亀城君(クィソングン)は20代で領議政になっています。このまま力をつければ第2の首陽になる可能性も否定できませんでした。臣下の側も王族が政治に介入してくることを快く思っておらず、韓明澮(ハン・ミョンフェ:한명회)たち元老大臣が制度設計に介入していることもあり、また王統の安定も考慮して、王族には政治に関係のない官職が用意され、政治実務から遠ざけられたのでした。
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