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王女の男の原作は錦溪筆談/錦渓筆談?

      2012/11/26

王女の男の原作は1873年(高宗10)に、徐有英(ソ・ユヨン:서유영)によってまとめられた錦溪筆談/錦渓筆談(クムゲピルダム:금계필담)の一物語です。この書は2巻からなる漢文の書で141編の物語が収められています。

1543年の癸酉靖難(ケユジョンナン:계유정난)から300年以上経っていますし、作者が残した記録によると、手遊びに書いたとのことですし、資料を元に記述をしたわけではなく口伝がもとになっているということですので、正直なところ歴史書としての信ぴょう性はありません。

では、王女の男の原作となった物語は一体どんな内容だったのでしょうか?

王女の男の内容と比較しつつ見て行きましょう。

 

王女の男では金宗瑞(キム:ジョンソ)の末っ子で3男の金承琉(キム:スンユ)首陽大君(スヤンテグン)の娘・李世姈(イ・セリョン:이세령)とのラブストーリーですが、錦溪筆談/錦渓筆談(クムゲピルダム)では金宗瑞の孫と首陽大君(スヤンテグン)の娘・李世熺(セヒ:세희:世姫とも)です。

父・首陽大君の謀反心を知った娘セヒは父との軋轢が生じ、母により乳母とともに地方に移されました。忠清道についた二人はある青年と出会います。その青年は二人が癸酉靖難を避けて都落ちしてきたことを知り、自らもそうだと話しました。すると乳母は3人で暮らそうと提案し、洞窟で同居することになりました。

1年ほどすると自然と愛情が芽生え、二人は婚姻することとなります。その段で、癸酉靖難の際に都落ちしたいきさつを乳母から聞き、自分は金宗瑞(キム:ジョンソ)の孫だと泣きながら真実を語りました。後日、真相を知った世祖(セジョ:首陽大君の王命)は二人に帰ってくるように言いましたが、二人はそうしませんでした。

 

上記が錦溪筆談/錦渓筆談(クムゲピルダム)でのあらすじですが、整合性の取れない事が多いです。

そもそも首陽大君(スヤンテグン)には娘が懿淑公主(ウィスクコンジュ:의숙공주)一人しかおらず、1455年(世祖3)に領議政鄭麟趾(チョンインジ:정인지)の息子・河城府院君(ハソンプオングン:하성부원군) 鄭顕祖(チョン・ヒョンジョ:정현조)に嫁いだ記録が残っています。そのため、錦溪筆談/錦渓筆談は完全なフィクションということになります。

錦溪筆談/錦渓筆談にだけ懿淑公主の姉・懿姈公主(ウィリョンコンジュ:의령공주)世熺(セヒ:세희)がいるとの記載があります。実録には載ってないため公式なものではありませんが、何らかの理由、例えば勘当などで載せなかった可能性も無きにしもあらずです。

けれども、王女の男のように男性主人公が金承琉(キム:スンユ)という可能性は残念ながらありません。末っ子ながら金宗瑞(キム:ジョンソ)と正妻との子です。金宗瑞は71歳で命を落としていますので、もしキム:スンユが存命だったとしても、当時37歳だった首陽大君とほぼ同年齢だったことが考えられ、親子ほど離れた相手とロマンスがあったとは、当時の常識からしてもありえません。

 

ちなみに、王女の男の女性主人公・セリョンという役名は、懿姈公主(ウィリョンコンジュ:의령공주)世姫(セヒ:세희)の世(セ)と姈(リョン)をミックスしているものと思われます。

世姫という名前からして、「世祖の姫」という意味で、後世に架空の人物を作ったように思えます。

世祖(セジョ)という名前は、王が死んだ後に付けられたものですから。

 

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