キム・スンユ
2012/11/26
王女の男の主人公・金承琉(キム:スンユ:김승유 )は実在の人物なのでしょうか?
数少ない資料の中から歴史的事実を紐解いてみます。
実録などの史書にはその記録は残されていませんが、本貫の順天金氏(スンチョンキムシ)の家系図には、ドラマの設定の通り金宗瑞(キム:ジョンソ:김종서)の3男として記録が残っています。
驪興閔氏(ヨフンミンシ:여흥 민씨)と婚姻をしており、息子・金孝達(キム・ヒョダル:김효달)を残しています。
承政院 注書(スンジョンウォン チュソ:승정원 주서)でした。
金宗瑞(キム:ジョンソ)は正妻の坡平 尹氏(パピョン ユンシ:파평 윤씨)との間に金承珪(キム:スンギュ:김승규)・金承璧(キム・スンビョク:김승벽)そして金承琉(キム:スンユ)の3人の息子を持ちました。
また、側室との間にも金石臺(キム・ソクデ:김석대)・金木臺(キム・モクデ:김목대)の2人の息子を設けています。
前述したように金承琉(キム:スンユ)の史書への記録は残っておらず、他の息子たちは記録により1543年の癸酉靖難(ケユジョンナン:계유정난)以後に処罰を受けた記録があることから、彼はそれ以前に亡くなっていた可能性が高いとされています。
金宗瑞(キム:ジョンソ)が暗殺された時に同様に殺害されたのは長男で兵曹參議(ピョンジョチャミ:병조 참의)だった金承珪(キム:スンギュ)です。
金承璧(キム・スンビョク)と金石臺(キム・ソクデ)は流刑後に死罪となりました。また、16歳以上のものは身分を剥奪され官奴(クァンノ:관노)に落とされました。
さらに翌年、金承珪(キム:スンギュ)と金木臺(キム・モクデ)の息子、金寿同(キム・スドン:김수동)・金祖同(キム・ジョドン:김조동)が、相次いで死刑となりました。
1456年に放免となった金承璧(キム・スンビョク)の息子キム・ジュンナム(김중남)が、史書に残る唯一の子孫なのですが、先の家系図によると、金承珪(キム:スンギュ)の息子・幸南(ヘンナム:행남)、金承璧(キム・スンビョク)の息子・彭(ペン:팽)、金承琉(キム:スンユ)の息子・孝達(ヒョダル:효달)が、知人の援助を受け代を継いだとされています。
さて、それでは、物語の根拠は一体なんなのでしょうか?
それは、19世紀に徐有英(ソ・ユヨン:서유영)によってまとめられた錦溪筆談(クムゲピルダム:금계필담)の中の物語です。
この頃までに伝わっていた物語をまとめたものですので、歴史的信ぴょう性は高くありません。
この中では、金宗瑞(キム:ジョンソ)の孫と首陽大君(スヤンテグン:수양대군)の娘・セヒのラブストーリーが伝えられています。
結局のところ、ドラマのストーリーはフィクションなのですが、そのあたりのことはおいおい紹介していきます。
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