柳成龍(ユ・ソンニョン:유성룡) リュ・シウォンのご先祖様
2018/10/18
今回は、柳成龍(ユ・ソンニョン:유성룡)を紹介します。
許筠(ホ・ギュン:허균)の儒学のお師匠さんでもある彼は清貧で実直な人柄が後世の人々からも愛されていて、俗に朝鮮四大名宰相の一人といわれています。(出典により五大とも)
彼についてはいろいろな逸話が残されているのですが、それよりも一番食いつきがいいネタは、彼が リュ・シウォンのご先祖様 ということではないでしょうか?
リュ・シウォンは14世孫なのです。
ちなみに現在の韓国語では、日本語的にラ行の固有語はヤ行に置き換わります。
シウォン君の意図は定かではありませんが、漢字にするとご先祖様と同じ『柳(ユ)』氏ですので、あしからず。
さて、もう少し詳しく彼の経歴や人となりについてみていきましょう。
柳成龍(ユ・ソンニョン:유성룡)1542-1607 陰暦5月13日 号 豊山(プンサン:풍산) 西厓(ソエ:서애)など、本貫(プンサン:풍산)
幼少の頃より他より秀でており、若くして中国へ朝廷の仕事で、派遣された折にも「西厓先生」と中国の文人からも慕われたほどです。
第14代宣祖(ソンジョ:선조) 1567-1608 のころに活躍しました。
この激動の時代に、しかも秀吉の朝鮮出兵時には、朝廷の最高位である領議政(ヨンイジョン:영의정)に登り、四道都體察使(サドドチェチャルサ:사도도체찰사)を兼任しました。 ※領議政とは現在の首相にあたる。
救国の英雄『李舜臣(イ・スンシン:이순신)』は3歳年下の同郷の幼馴染で、彼が登用し後見しました。
他の救国の英雄『元均(ウォンギュン:원균)』『權慄(クォンユル:권율)』らを登用したのも彼の功績です。
品行方正で清貧、政治家にして儒家であり文人。 そんな彼には沢山のエピソードが残されています。
・囲碁の名手で、数々の逸話が残されています。
・医学と針術にも造詣が深くホ・ジュンに医学と針術に関する 多くの助言をしました。
・私腹を肥やす官僚が多いなか、清貧だった彼は、死後の葬式費用さえも蓄えていませんでした。彼を尊敬してやまない民は 財を持ち寄り葬式を営んだそうです。
・激動の時代を乗り越えたのはソンニョンあってと、多くの民が彼の死を悼みました。 文人・儒家としての彼も超一流で、師匠は儒教の大家であり、現在の1000ウォン紙幣のモデル『李滉(イファン:이황)号:退溪(テゲ:퇴계)』でした。
著作も数多くあるのですが、最も有名なのが、国宝132号に指定されている懲毖録(チンピロク:징비록)です。
秀吉による2回の朝鮮出兵『壬辰倭乱(イムジンウェラン: 임진왜란)』以降1592年から98年の7年間の手記を、回顧と反省を含めてまとめたものです。(後に江戸時代の日本でも発行)
現代でも大変人気のある柳成龍(ユ・ソンニョン:유성룡) 。彼の里である安東(アンドン)は儒学の里としてとても有名な観光地で世界の要人も訪れる場所です。 ひょっとすると、シウォン君にも会えるかもしれませんよ~!
安東観光 子孫の方が運営しているようです。(シウォン君の親戚) http://hahoe2.andong.com/
当ページの短縮URL http://kjidai.com/historia/?p=7
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