百済の官職
2019/01/24
百済(ペクチェ:백제)の十六官等(シプユクグァンドゥン:16관등)
一品(イルプム:일품) 佐平(チャピョン:좌평) 六佐平(ユクジャピョン:6좌평)と呼ばれ、六つの職責に分かれていた
- 内臣佐平(ネシンジャピョン:내신좌평) – 最上級に位置し、王命の伝達や上訴の提供などを行った
- 内頭佐平(ネドゥジャピョン:내두좌평) – 財政担当の長
- 内法佐平(ネポプジャピョン:내법좌평) – 礼儀・儀礼を司る長
- 衛士佐平(ウィサジャピョン:위사좌평) – 王の護衛を司る近衛隊長
- 朝廷佐平(チョジョンジャピョン:조정좌평) – 刑獄(司法)の担当の長
- 兵官佐平(ピョングァンジャピョン:병관좌평) – 地方の兵馬官(軍事)を司る官庁の長
二品 達率(タルソル:달솔) ケベクの最終官職
三品 恩率(ウンソル:은솔)
四品 徳率(トクソル:덕솔)
五品 扞率(ハンソル:한솔)
六品 奈率(ナソル:나솔)
七品 将徳(チャンドク:장덕)
八品 施徳(シドク:시덕)
九品 固徳(コドク:고덕)
十品 季徳(ケドク:계덕)
十一品 対徳(テドク:대덕)
十二品 文督(ムンドク:문독)
十三品 武督(ムドク:무독)
十四品 佐軍(チャグン:좌군)
十五品 振武(チンム」:진무)
十六品 克虞(クグ:극우)
百済(ペクチェ:백제)二十二部司(イシビブサ:22부사) 官庁名
宮中の事務を管掌する内官(ネグァン:내관)12部と、一般の業務を担当する外官(ウェグァン:외관)10部からなる。
内官(ネグァン:내관)
1.前內部(チョンネブ:전내부) 2.穀部(コクブ:곡부) 3.肉部(ユクブ:육부) 4.內檢部(ネギョンブ:내경부) 5.外檢部(ウェギョンブ:외경부) 6.馬部(マブ:마부) 7.刀部(トブ:도부) 8.功德部(コンドクブ:공덕부) 9.藥部(ヤクブ:약부) 10.木部(モクブ:목부) 11.法部(ポプブ:법부) 12.後宮部(フグンブ:후궁부)
外官(ウェグァン:외관)
1.司軍部(サグンブ:사군부) 2.司徒部(サドブ:사도부) 3.司空部(サゴンブ:사공부) 4.司寇部(サグブ:사구부) 5.點口部(チャムグブ:점구부) 6.客部(ケクブ:객부) 7.外舍部(ウェサブ:외사부) 8.綢部(チュブ:주부) 9.日官部(イルグァンブ:일관부) 10.都市部(トシブ:도시부)
佐平(チャピョン:좌평)については三国史記(サムグクサキ:삼국사기)によると、260年(古爾王:コイワン:고이왕27)に設置され、初期には一人だったと言われています。
六佐平制(ユクジャピョンジェ:6좌평제)が確立された時期については、古爾王27年、4〜5世紀、6〜7世紀など、様々な見解があります。
定員は泗沘(サビ:사비)時代前期には5人でしたが、後期になって6人となりました。
その名称も内臣佐平(ネシンジャピョン)·内頭佐平(ネドゥジャピョン)などの固有の業務を表す名称に改称され、いわゆる六佐平制が確立されました。
佐平は百済初期に兵馬事(ピョンマサ:병마사)を掌握していた左・右輔(チャ・オボ:좌·우보)の代わりに設置されたもので、各部族の力を削ぎ、王権強化のために設置したと見られています。
南堂(ナムダン:남당)で開かれる貴族会議の議長となりました。
主に王族・外戚・有力貴族から任命されました。
408年、腆支王(チョンジワン:전지왕)4年には、六佐平の上位に上佐平(サンジャピョン:상좌평)を設置し、王の近親者を任命することで、王権をより強化させました。
熊津(ウンジン:웅진)に遷都後は、役職+佐平という表記ではなく、佐平◯◯と名称の記載に変化しています。
これは、国事が細分化・複雑化したことにより、二十二部司(イシビブサ)の職権が強化され六佐平制が有名無実化したものと考えられます。
けれども、佐平の地位は維持され、貴族会議での国事決定には参加しました。
百済末期になると全体的な身分上昇・官職の乱発が起こり、佐平は六人では留まらなくなり、その権力も弱体化します。
百済最後の王・義慈王(ウィジャワン:의자왕)の治世では、王庶子(ワンソジャ:왕서자)41人にも佐平の地位が与えられました。
また、大佐平(テジャピョン:대좌평)という名誉職も創設されたと言われています。
上記のように、ドラマ・ケベクでは内臣佐平(ネシンジャピョン)·内頭佐平(ネドゥジャピョン)などの職名のついた佐平はいなかったはずなのですが、六佐平制(ユクジャピョンジェ)が維持されたままとなっています。
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