善花(ソンファ)は実在したのか?
2012/11/26
息子・義慈王(ウィジャ)を守るために自ら命を断った善花王后(ソンファワンフ:선화황후)。一般的には善花公主(ソンファコンジュ:선화공주)として名が知られています。
朝鮮半島の2大歴史古書でありながら、信ぴょう性がないと言われている三国遺事(サムグクユサ:삼국유사)では、新羅の真平王(チンピョンワン:진평왕)の3女で善徳女王(ソンドンニョワン:선덕여왕)の妹として紹介されています。有名な薯童(ソドン)説話です。
そもそも存在の真偽が問われるほどの人ですので、自刃した事も含めて全くわかっていません。また、493年に東城王(トンソンワン:동성왕)に嫁いだのが新羅(シルラ:신라)人の王族・比智(ピジ)の娘であったと言われていますが、それを武王(ムワン:무왕)と混同しているという説もあります。
というのも、もう一つの歴史古書で朝鮮半島の歴史書の中で最古の三国史記(サムグクサギ:삼국사기)には、善花(ソンファ)に関する記述が全くないからです。
三国史記は1145年に高麗(コリョ:고려)の儒者で歴史家の金富軾(キム・ブシク:김부식)が王命により編纂した編纂した正史です。彼は新羅系ですし、当時は新羅の資料が豊富にあったにも関わらず記録がないのです。もちろん、意図的に隠した可能性もなきにしもあらずですが。
さらに、善花(ソンファ)の存在を不安定にしたのが、2009年1月14日に弥勒寺址石塔(미륵사지석탑)の解体修理によって発見された金製舎利奉安記です。これには百済(ペクチェ:백제)第30代王・武王(ムワン:무왕)の后が富を喜捨して寺を建てたと記されています。
三国遺事(サムグクユサ)では善花(ソンファ)の願いによりたてられたという弥勒寺ですが、この舎利奉安記には、佐平沙宅積德(サテクジョクドク:사택적덕)の娘と記されていたのです。
ドラマに出てくる砂宅妃(サテクビ:사택비)がまさにその人です。
元々二分していた学説もこの発見で善花(ソンファ)の存在は怪しいという説が、俄然強くなって来ました。もっとも、この文章の解釈にも二通りあり、統一見解が出ることはなさそうです。
しかも、武王(ムワン:무왕)は即位直後から数十年に渡り、13回とも14回ともいわれる攻撃を新羅に仕掛けています。一般的に考えて王妃を迎えた国と友好関係を維持するならまだしも、このように何度も攻撃するとは考えにくいですよね?
結局のところ、結論は出ません。武王の年齢を考えると砂宅妃(サテクビ)が継妃で、その前の王妃が善花(ソンファ)だったという説も成り立たなくはないですし、善花(ソンファ)は王の娘ではなく貴族の娘だったりすれば、気兼ねなく攻撃もできるわけです。
結局のところ史料が足りない以上、何を信じたいかが重要になってきます。薯童謠(ソドンヨ)のロマンティックな説話に浸りたければ善花(ソンファ)は存在するし、三国史記(サムグクサギ)への不記載や舎利奉安記の文章の内容を原理的に解釈すれば善花(ソンファ)は実在していなかったことになります。
あなたはどっちの説を支持しますか?ボクはどちらくというと後者です。
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