韓国歴史ヒストリア

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近肖古王(クンチョゴワン)

      2012/11/26

近肖古王(クンチョゴワン:근초고왕)は百済(ペクチェ:백제)第13代王で在位期間は346〜375年だ。

諱は餘句(ヨグ:여구) 高句麗(コグリョ:고구려) の広開土太王(クアンゲトデワン:광개토태왕の1・2世代前に百済の最大版図を築いた偉大な王だが、記録がさほど残されていないこともあり、比肩する業績を残したにも関わらず、広開土太王ほどクローズアップされることがなかった。 近年、近肖古王がドラマとなったこともあり注目を得ている。

当サイトでは、キム・ジョンソン氏のレポートを元に、近肖古王について学ぶ段階での備忘録として記述していく。

 

まず、近肖古王(クンチョゴワン)の名称だが、正式な諡号は肖古王(チョゴワン)だ。 第5代王も同様の諡であるため、近世に近い方の王に「近」を付けて、第5代王と第13代王を区別している。

両者を継いだ第6代・第14代王の名も共に仇首王(クスワン:구수왕)であるため、他国の史書では混同も見られるし、彼らは同一人物との説もあるが、大勢の説では下記のとおりだ。

 

ドラマ・チュモンを見た方ならよくわかると思うが、高句麗王チュモンと別れた母ソソノとともに、次男溫祚(オンジョ:온조)と長男沸流(ピリュ: 비류)が高句麗を離れ、韓半島に南下し、溫祚が建国したのがまさに百済だ。

伝説では沸流は他の国を建国したが、弟の国家には及ばない事を嘆き自害したとされている。そして、その統治国は百済に吸収された。

ソソノを祖としてその子孫が王族となる。第1代から第7代までの王は次男溫祚 の直系で、8・9・10・12代は沸流の系統となる。 前者は肖古王(チョゴワン:초고왕)統系、後者は古爾王(コイワン:고이왕)統系(表:オレンジ)とも言われている。

古爾王統系は長男の系統だが百済では傍系となる。

そして、近肖古王(クンチョゴワン)以降は滅亡までの間、初代溫祚 の直系が王となっている。

 

  王名
在位期間
第1代
温祚(オンジョ:온조)
BC18~AD28
第2代
多婁王(タルワン:다루왕)
28~77
第3代
己婁王(キルワン:기루왕)
77~128
第4代
蓋婁王(ケルワン:개루왕)
128~166
第5代
肖古王(チョゴワン:초고왕)
166~214
第6代
仇首王(クスワン:구수왕)
214~234
第7代
沙伴王(サバンワン:사반왕)
234
第8代
古爾王(コイワン:고이왕)
234~286
第9代
責稽王(チェゲワン:책계왕)
286~298
第10代
汾西王(プンソワン:분서왕)
298~304
第11代
比流王(ピリュワン:비류왕)
304~344
第12代
契王(ケワン:계왕)
344~346
第13代
近肖古王(クンチョゴワン:근초고왕)
346~375

 

ただし、現在韓国の教科書などでも採用されているこのような百済の王統や歴史は、捏造されている可能性が高い。

それについては、次回解説する。

近肖古王(クンチョゴワン)は「クン・チョゴワン」と読む。日本語の音韻体系では「クンチョ・ゴワン」と読みがちだが注意しなければならない。

 

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