朝鮮時代、王族にも同姓婚があった?
2012/11/26
馬医(マウィ:마의)を見始めました。
他のイ・ビョンフン監督作品同様、最初の数話は子役です。
韓国で同伊(トンイ:동이)の放送が終わったのが2010年の10月12日でしたので、約2年ぶりのカムバックです。
いいですよ、すごく。この間、他のドラマもたくさん見てきましたが、やっぱりイ・ビョンフン監督作品は違います。例えて言うなら、美味しい白米を食べている感じです。すっと違和感なく飲み込め、それでいてクセのない美味しさで、毎日食べていたい。そんな感じです!
さて、馬医(マウィ:마의)は第17代孝宗(ヒョジョン:효종)・第18代顕宗(ヒョンジョン:현종)代をメインに描いているドラマですが、この時代に欠かせないのが宋時烈(ソン・シヨル:송시열)です。どうもイ・ビョンフン監督は彼を描きたくないのか、今回も登場しないようです。子孫の集団が強烈で、クレームを避けているのかもしれませんね~。
その宋時烈(ソン・シヨル:송시열)について以前宋時烈(ソン・シヨル)と不娶同姓で紹介しましたが、そこに質問が入ってきたので、今回王族の同姓婚等についてまとめます。
王による同姓婚例は下記のとおりです。赤字は本貫です。ほとんどが不明です
- 第2代定宗(チョンジョン:정종) 숙의 이씨(淑儀 李氏)
- 第3大太宗(テジョン:태종)
- 德淑翁主李氏(トクスクオンジュ イシ:덕숙옹주 이씨)
- 惠順宮主 李氏(ヘスンクンジュ イシ:혜순궁주 이씨)
- 愼順宮主 李氏(シンスンクンジュ イシ:신순궁주 이씨)
- 第4代世宗(セジョン:세종) 淑媛 李氏(スグォン イシ:숙원 이씨)
- 第9代成宗(ソンジョン:성종) 昭儀 李氏(ソウィ イシ:소의 이씨)
- 第10代燕山君(ヨンサングン:연산군)
- 昭儀 李氏(ソウィ イシ:소의 이씨)
- 淑媛 李氏(スグォン イシ:숙원 이씨)
- 第11代中宗(チュンジョン:중종)
- 淑儀 李氏(スギ イシ:숙의 이씨)
- 淑媛 李氏(スグォン イシ:숙원 이씨)
- 第13代明宗 (ミョンジョン:명종)
- 慶嬪 李氏(キョンビン イシ:경빈 이씨)
- 順嬪 李氏(スンビン イシ:순빈 이씨)
- 淑儀 李氏(スギ イシ:숙의 이씨)
- 第15代光海君(クァンヘグン:광해군) 尚宮 李氏(サングン イシ:상궁 이씨)
- 第17代孝宗(ヒョジョン:효종) 安嬪 李氏(アンビン イシ:안빈 이씨) 慶州(キョンジュ:경주)
- 第21代英祖(ヨンジョ:영조)
- 靖嬪 李氏(チャンビン イシ:정빈 이씨) 含城(ハムソン:함성)現:咸陽(ハミャン:함양)
- 暎嬪 李氏(ヨンビン イシ:영빈 이씨) 全義(チョニ:전의)
- 第25代哲宗(チョルジョン:철종) 宮人 李氏(クンイン イシ:궁인 이씨)
- 第26代高宗(コジョン:고종)
- 永寶堂貴人 李氏(ヨンボダン クィイン イシ:영보당귀인 이씨) 李順娥(イ・スナ:이순아) 慶州(キョンジュ:경주)
- 光華堂貴人 李氏(クァンファダン クィイン イシ:광화당귀인 이씨) 李完興(イ・ワヌン(이완흥)
- 內安堂貴人 李氏(ネアンダン クィイン イシ:내안당귀인 이씨)
※太宗の後宮に翁主がいますが、決して近親婚ではありません。このころは後宮の品階が不確定だったのです。
この他にも宗親(チョンチン:종친)となると、枚挙に暇がありません。
朝鮮は俗に小中華と呼ばれていますが、中華を慕う慕華(モファ:모화)の国でした。ここで言う華とは明(ミン)のことで、朝鮮は建国時に明との盟約により成立した国家でしたので、当初は政治的判断でしたが、朱子学の原理主義的考えの定着に連れて、法律や風習までも変化させて行きました。
そして、儒教の中の朱子学の考え方がふんだんに盛り込まれた明の律令である明律(ミョンリュル:명률)を採用し、若干の修正を加えることで朝鮮の法体系を整備しました。これが経国大典(キョングクデジョン:경국대전)で、第7代世祖(セジョ세조)の治世であらかた出来上がり、第9代成宗(ソンジョン:성종)の治世で完成しました。
逆説的に言うと、世祖以前は厳格なルールが定まっておらず、慣習により同姓婚は忌避されていました。そのため、高麗時代後期から禁止されていた同姓婚ですが、朝鮮となっても厳格に禁止されていたわけではありません。
建国後50年が経ち初めて王族の同姓婚を禁止したのは第4代世宗(セジョン:세종)で、1442年(世宗24)6月24日のことでした。
このことは実録にも載っており、中国では本貫の違う同姓婚も認められていないのに、朝鮮では認められているため、大小にかかわらず王族の同姓婚を恒久的に禁止すると言っています。これ以降は原則的に王族は本貫が異なっても同姓であれば婚姻できないこととなりました。
庶民レベルではどうだったのでしょうか?慶尚道山陰の帳籍(戸籍台帳)、いわゆる慶尚道山陰帳籍(キョンサンド サヌム チャンジョク:경상도산음장적)の1606年と1630年の記録を分析することで、以下のことがわかります。
- 同姓同本(トンソンドンボン:동성동본)の婚姻も存在していた
- 同姓異本(トンソンイボン:동성이본)婚は同姓同本婚よりも多かった
- すべての同姓婚は全体の6%だった
- 同姓同本婚を行ったのはすべて常民(サンミン)で両班(ヤンバン)はいなかった
- 同姓異本婚には両班も含まれていた
- 同姓異本婚をするものはほとんどが李氏や金氏で、少数派の姓は少なかった
以上の資料が出揃ったところで、総合的考察に移ります。
まず、法律遵守の度合いは、王族>両班>庶民の順です。1600年代にはすでに両班においても同じ本貫の者は婚姻はしていなかった事がわかります。これについては朝鮮初期から順守されていたようです。
世宗の命令からもわかるように、それ以前も王族は高麗の慣習に従い同姓同本の李氏との婚姻は避けていました。歴代王の後宮に李氏がいても、異本だったようです。
けれど、世宗の命令にもかかわらず、王族は同姓異本の女性を正式に後宮として品階を与えています。結果から見て、王に関しては同姓異本であっても婚姻できたと言えます。ただし、正式な妻は中殿(チュンジョン:중전)だけですので、その限りにおいては婚姻ではないとの方便を使うこともできます。いずれにしろ王は超法規的存在です。
第18代顕宗(ヒョンジョン:현종)代の1669年(顕宗10)1月4日の宋時烈(ソン・シヨル:송시열)による提案によりすべての同性婚が禁止され、王もしばらくはその禁を犯さなかったのですが、第21代英祖(ヨンジョ:영조)は2人の李氏と婚姻しています。
その後の第25代哲宗(チョルジョン:철종)のころは、すでに朝鮮は国の体をなしてないような状況でしたので、英祖だけが唯一禁を犯したとも言えます。
ただし、他の後宮となった李氏についても、ほとんどが宮女上がりではないかと思われます。数が多いため全てチェックしていませんが、ざっと見てもほとんどが宮女出身です。正式な揀擇(カンテク:간택)を経て後宮に上がった者はいないように思われます。
原則としては李氏を後宮としないものの、手をつけてしまったものはしょうがないといったところでしょうね!
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