北朝鮮を朝鮮王朝から紐解くと・・・
2012/11/26
キム・ジョンイルの急逝により周辺国はかなりあたふたしています。しかも、動静を全く把握できていない日韓の現状も露呈してしまいました。
特に韓国は朝鮮戦争が終わっているわけでもないのに明らかな平和ボケを晒してしまいましたね。
さて、少々理論的には難があり、半分戯言ですが、北朝鮮の金王朝を朝鮮王朝に照らしあわせて解釈してみようと思います。
そもそも北朝鮮は、朝鮮王朝の出自などの価値観を真っ向から否定したにも関わらず、結局は悪しき慣習を踏襲し、類似したシステムのもとに成り立っています。
では、特に人物にスポットを当ててみていきましょう。
朝鮮王朝の王を見てみましょう。 初代 太祖(テジョ:태조)李成桂(イ・ソンゲ:이성계) 1392~ 第2代 定宗(チョンジョン:정종) 1398-1401 第3代 太宗(テジョン:태종)李芳遠(イ・バンウォン:이방원) 1401-1418 第4代 世宗(セジョン:세종)世宗大王(セジョンテワン:세종대왕) 1418-1450 北朝鮮は、初代キム・イルソン、第2代キム・ジョンイル、第3代キム・ジョンウンですね。
朝鮮定宗は弟・芳遠の傀儡だったので、概念的には飛ばしても問題ありません。すると、キム・ジョンイルは朝鮮太宗に相当します。
太宗はどのドラマを見ても、兄弟や政敵をことごとく粛清した冷血な人物ですが、国の礎を築くためにそれを行いました。
一方のキム・ジョンイルも、詳細は明らかになっていませんが、父から受け継いだ地位を磐石にするために、かなりの粛清を行ったとされています。
北朝鮮も朝鮮も初代・第2代と全く同じ事を行なっています。日本で言う院政です。朝鮮では退位した王を上王(サンワン:상왕)といいます。
通常、王が死去した後に次期王がその地位に付きますが、朝鮮王朝では太祖が存命中に第3代太宗が王位についています。
そして、第3代太宗が存命中に第4代世宗も王位につきました。 経緯は全く違うとはいえ、北朝鮮もキム・イルソン→キム・ジョンイル→キム・ジョンウンと、存命中の権力継承が行われています。
今回のキム・ジョンイルの死去で、完全な権力継承が成されなかったのは、ニュースなどにより周知の事実ですね。
ということは、キム・ジョンウンは聖君とうたわれた世宗大王? 北朝鮮と朝鮮王朝の類似点からいうと、順番ではそうなってしまいます。
ひょっとすると平和裏に半島を統一するなど、大仕事をやってのけるのかも知れません!
しかも、彼はキム・ジョンイルの三男ですが、世宗も三男なのです。
当然ながら長男が王位を継承すべきですが、朝鮮では世宗の長兄・讓寧大君(ヤンニョンテグン:양녕대군)が世子として王位を継承する予定だったにも関わらず、放蕩を繰り返しついには廃世子となり、結局、世宗が王位を継ぎました。
方やキム・ジョンウンの長兄も、現在マカオにおり、東京ディズニーランドに行こうとして捕まったあのキム・ジョンナム氏です。
偶然にせよ両者は不思議な類似性を持っています。
北朝鮮専門家と言われる人たちは、後継体制が万全ではないことを強調するばかりですが、そもそも朝鮮王朝で王権が強力でなく、臣下によってコントロールされていた時代も少なからずあります。
特に、第22代 正祖(チョンジョ:정조) 李祘(イ・サン:이산)亡きあと11歳で即位した第23代 純祖(スンジョ:순조)は、養祖母の貞純王后(チョンスンワンフ:정순왕후)により垂簾聴政(スリョムチョンジョン:수렴청정)を受けていますし、その後は臣下が完全に実権を掌握した勢道政治の時代に突入しています。
このことからもわかるように、権力を持つ臣下にとっては王は愚鈍な方が御し易く、思うがままに振る舞うことができるのです。
専門家と言われる人たちでこのことを指摘する人がいないのはなぜなのでしょうね?
現在は2011年ですが、北朝鮮は同時代性では語れない旧態依然とした体制を維持した中世的国家です。
周辺国は自分たちの価値観でこの国を測ると、間違いなく計測ミスを起こすでしょう。
そんな時には歴史から学ぶべきだと思うのですが、どうでしょう? いずれにしても、平和裏に北朝鮮が韓国に吸収合併される様になればなと思います。
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