日本語の正体 金容雲
日本語の正体 金容雲著
以前から読もうと思っていた日本語の正体を図書館で見つけたので読んでみました。
戦前の日本で教育を受けたことがある数学者・金容雲氏が日本語のルーツは百済語(クダラ語)だとして、論述した書籍です。
こういった書籍の書評は結論から言ったほうがいいですね。
巻末に「この物語はフィクションです」とあれば秀逸な作品でしたが、本気で記述したのならトンデモ本認定をして差し上げます。
さほど言語体系や歴史に造詣がない方が読むと、一見「なるほど~、日本語のルーツは百済語なんだ!」と感心するかもしれませんが、どちらかをある程度勉強している人が読めば支離滅裂と思うことでしょう。
もっとも、ボクの場合、市井の歴史愛好家で言語については疎い面がありますが、そんなボクでも支離滅裂だと思うのですから、専門家が読むとあいた口がふさがらないと思います。
当ブログでも何度か取り上げていますが、朝鮮半島の歴史書で最古のものは、1145年に高麗(コリョ:고려)の儒者で歴史家の金富軾(キム・ブシク:김부식)が王命により編纂した三国史記(サムグクサギ:삼국사기)です。
660年に滅亡した百済(ペクチェ:백제)についての最古の書物が500年後のものですし、金富軾(キム・ブシク)は新羅(シルラ:신라)系。そんなこともあって、そもそも百済語の単語は100語足らずしかわかってないんです。(僕が知る限り)
それなのに、金容雲氏はあたかもタイムスリップしてきたかのように、カラ語だの百済語の発音について詳しいのですよ。平安期以降の日本のように表音文字が混在していたならまだしも、漢字しかなかった時代の百済・伽耶・新羅の発音を手に取るように把握している金容雲氏はきっと人を超越した存在なのでしょうね!
これを前提にして日本語の正体を読み進めていくと、いかに同時代性を無視しているかがわかります。
どういうことかというと、百済語と比較する日本語が当時使われていたものでなければならないのですが、そのあたりの一貫性が見事にかけています。
あるいは中世あたりの朝鮮半島語をピックアップして日本語と比較しても、まったく意味のないことなのに、両地域の同時代性を無視してことばを比較して、子音が脱落してどうのこうのと論述しているのです。
もちろん、百済語が日本語に対して少なからぬ影響を与えたことは想像できます。けれども、影響を与えたのとルーツだということはまったく別物です。現代日本語もふんだんに和製英語を使っていますが、そのことが日本語のルーツは英語だといえないのと同じです。
数学者なら、言葉の研究に対しても数学的分析力を発揮して欲しかったですね!
レビューに星を4つ以上つけている方が3人いて、本の評価が高くなってます。ひとつの本やイデオロギーを鵜呑みにするのは恐いことですね。
歴史に対するアプローチも同じで、多角的に考察して結論にも柔軟性を持たせることが重要だと思います。といっても、この本の書評に関しては柔軟性を発揮しえませんが(笑)
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