百済(ペクチェ:백제)1 建国
2012/11/26
百済(ペクチェ:백제)
三国時代に紀元前18年から660年まで、約700年にわたり韓半島の中西部に栄えた国家で、日本との関係も深い国です。
その百済の滅亡期を描いた階伯(ケベク:계백)の放送が始まることもあり、百済について過去のドラマも絡めながらざっとおさらいをしてみましょう。
その前に・・・三国時代については未だによくわかっていない事ばかりですので、ある程度有力と思われる通説を紹介します。異説も多々あるので、これについてはご了承ください。詳しくは百済の歴史は捏造されている?などを参照してください。
朱蒙(チュモン:주몽)を見た方ならわかると思いますが、のちに東明聖王(トンミョンソンワン:동명성왕)と呼ばれるチュモンの、子とも義理の子とも言われている温祚(オンジョ:온조)が母・召西奴(ソソノ:소서노)と兄・沸流(ピリュ:비류)とともに南下して建国した国が百済(ペクチェ:백제)です。
兄・沸流(ピリュ)も弥鄒忽(ミチュホル:미추홀:現在の仁川:インチョン:인천)で国を建てようとしましたがうまくいかず、すべてを温祚(オンジョ)に託しました。
場所は慰礼(ウィレ:위례)で、現在のソウルに流れる漢江(ハンガン)上流です。その後、高句麗(コグリョ:고구려)の圧力により南下せざるをえず、2度の遷都を行います。そのため、百済の歴史は三分割して考察されます。
- 漢城都邑期(ハンソンドウプギ:한성도읍기) 紀元前18~紀元後475
- 熊津都邑期(ウンジンドウプギ:웅진도읍기) 475~538
- 泗沘都邑期(サビドウプギ:사비도읍기) 538~660
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