首医(スイ)と御医(オイ)の差は?首医は実在したのだろうか? 馬医19話
イ・ビョンフン監督が演出するチョ・スンウ(조승우)、イ・ヨウォン(이요원)主演韓国時代劇・歴史ドラマ馬医(マイ/ばい:마의)第19話の解説&感想(あらすじ・ネタバレ含む)です。
馬医では、過去のドラマには登場しなかった首医(スイ:수의)という名称が登場します。
韓国では、漢字の字体が簡略化されてないため『首醫』と書き、漢字に詳しくない人は読めないかもしれません。
ところで、首医(スイ)という役職は本当に存在したのでしょうか?
その前に、一般的に朝鮮の医療チームのトップとして認識されている御医(オイ:어의)の定義を見てみましょう。
御医(オイ:어의)の定義
意外なことに長々とした定義はなく、『宮中で王や王族の治療をした医員』としか記されていません。これをそのまま解釈すれば、中殿(チュンジョン:중전)や大妃(テビ)、その他の子息もいるため、御医は複数いたと取れます。
また、王だけに特化して考察しても、王周辺の他の役職者を基準に考えると、御医も3交替制だったことが考えられます。そのため、少なくとも3人は、王の体に直接触ることのできる医員がいたことになります。
そもそも御医という役職はなく、内医院(ネイウォン:내의원)の実働部隊の最高品階は正3品・正(ジョン:정)です。そのため、御医というのは、定義通り、王族以上の治療が許された医員達と捕らえるべきでしょう。
また、他説には王のそばに侍ることができる堂上官(タンサングァン)となった医員を御医(オイ)と呼ぶともあります。
それでは、首医とはどういったものだったのでしょうか?
首医(スイ:수의)
朝鮮王朝実録を見てみると、第13代明宗 (ミョンジョン:명종)までには首医の記述は出てきません。初めて登場するのは第14代宣祖(ソンジョン:선조)の晩年の1604年(宣祖37)5月14日です。
感の良い方ならすぐにわかったかもしれませんが、この時代に朝鮮の医学の頂点に君臨していたのは、あの許浚(ホ・ジュン:허준)です。
許浚は当時でも医員のくびきから外れた正2品という異例の出世をしていました。この翌月には陽平君(ヤンピョングン:양평군)という君号まで賜り従1品にまで昇格します。
これ以降の時代にはパラパラとこの名称が使用されているため、許浚以降に定着したと推測できます。この名称も御医同様に正式な役職名ではありません。
以上のことからもわかるように、御医(オイ)は複数で首医(スイ)はその頂点と捉えることができます。
【参考】 顕宗(ヒョンジョン:현종) 韓国歴史ヒストリア
第20話に続く
挿入曲 馬医OST たった一つ(オジク タン ハナ:오직 단 하나) ソヒャン(소향)
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