淑徽公主(スッキコンジュ)は本当に寡婦となったのか? 馬医31話
イ・ビョンフン監督が演出するチョ・スンウ(조승우)、イ・ヨウォン(이요원)主演韓国時代劇・歴史ドラマ馬医(マイ/ばい:마의)第31話の解説&感想(あらすじ・ネタバレ含む)です。
清でニアミスした白光炫(ペク・クァンヒョン:백광현)とチニョン。
チニョンはクァンヒョンらしき人を追うも見失ってしまいました。 何かとありがちな偶然の再会ですが、本当にありえたのでしょうか?
ドラマの背景となる年代から50年下った頃の北京は人口が65万人だったと言われています。
比較の良い例とは言いませんが、日本の現状に照らし合わせると、鳥取県の人口が約59万人で、首都圏だと、大田区、足立区、江戸川区が、それぞれ65~70万人ほどです。
同じ業界の人同士ならば会えそうな気もしますね(笑)
淑徽公主(スッキコンジュ)は本当に寡婦となったのか?
さて、夫を失い、喪も明け、悠々自適に過ごそうと思っていた淑徽公主(スッキ/スクフィコンジュ:숙휘공주)。ドラマ馬医の中では数少ない実在の人物ですが、本当に夫に先立たれていたのでしょうか?
淑徽公主は1642年に孝宗(ヒョジョン:효종)の第4女として生まれ、1653年に結婚しています。半島風に数えて12歳です。当時は早婚だったのでそう珍しくはありません。
そして、9年後の1662年に夫の寅平尉(インピョンウィ:인평위)鄭齊賢(チョン・ジェヒョン:정제현)に先立たれます。この時まだ21歳の若さでした。
馬医31話の段階では3年喪が開けたばかりなので、計算すると1664年となります。(3年喪は期間で言うと約2年です)
上記のことからも分かるように淑徽公主(スッキコンジュ)は本当に寡婦となっています。その後、朝鮮の子女の慣習に従って死んだように過ごしていたのでしょう。朝鮮王朝実録を見ても特に出戻ったという記録はありません。
逆に1673年に私家の工事を臣下から反対されているくらいなので、ずっと宮廷外で過ごしていたことが想像できます。
ところで、前回、幼い粛宗(スクチョン:숙종)が登場しましたよね?幼いと言っても10歳頃のような設定でしたが、1664年としても粛宗はまだ4歳(日本風だと3歳)です。
この辺りの設定もかなりざっくりとしていますね(笑)
【参考】 顕宗(ヒョンジョン:현종) 韓国歴史ヒストリア
馬医第31話に続く 挿入曲 馬医OST たった一つ(オジク タン ハナ:오직 단 하나) ソヒャン(소향)
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