Dr.JINの歴史的背景・時代背景
Dr.JIN(ドクター ジン:닥터 진:JIN-仁- 韓国版)を視聴する上で、1860年ごろの朝鮮の歴史的背景を把握することはとても重要なことだと思います。
逆に言うと、歴史を把握してないと上辺のストーリーだけでドラマの良否を判断してしまいかねません。
そこで、今回は、当時の歴史的背景をざっくりと紹介したいと思います。
朝鮮歴代王
まずは説明の前提となる朝鮮の歴代王を見てみましょう。西暦は在位を表しています。
- 第19代 粛宗(スクチョン:숙종) 1674-1720 (ドラマ・トンイ:동이)
- 第20代 景宗(キョンジョン:경종) 1720-1724
- 第21代 英祖(ヨンジョ:영조) 1724-1776
- 第22代 正祖(チョンジョ:정조) 李祘(イ・サン:이산)1776-1800
- 第23代 純祖(スンジョ:순조) 1800-1834
- 第24代 憲宗(ホンジョン:헌종) 1834-1849
- 第25代 哲宗(チョルジョン:철종) 1849-1863 ←1860年にジンヒョクがタイムスリップしてきました
- 第26代 高宗(コジョン:고종) 1863-1907 ←彼が命福(ミョンボク) のちに大韓帝国初代皇帝
老論(ノロン:노론)と南人(ナミン:남인)と王族と
第19代粛宗(スクチョン)の時代に臣下間で激しい派閥闘争がありました。西人(ソイン:서인)と南人(ナミン:남인)の争いです。この2派の争いは1694年に終止符が打たれ西人が勝利し南人はこれ以降ほとんどの人材が登用されなくなりました。
勝利した西人も老論(ノロン:노론)と少論(ソロン:소론)に分かれており、その流れで老論はのちの第21代英祖を、少論はのちの第20代景宗をそれぞれ担ぎ、血で血を洗う争いが繰り広げられます。最終的に英祖の代で老論が勝利し、大きな力を握ることとなりました。
けれども、英祖と第22代正祖(イ・サン)はそれぞれ、派閥にかかわらず有能な官吏を登用したいという意思があり、また、ある特定の派閥の横暴を抑えるため、派閥融和政策である蕩平策(タンピョンチェク:탕평책)を取りました。
この蕩平策を面白おかしく描いたのがドラマ・トキメキ☆成均館スキャンダルです。このドラマではパク・ミニョン演じるテムルが南人(ナミン)だったのを覚えていますか?Dr.JINの中でもパク・ミニョン演じるヨンネは南人(ナミン)の家門の女性なんです。けっこうキャラクターもかぶっていますよね!
1800年、改革を断行してきた第22代正祖(イ・サン)が急逝します。そうなると、かろうじて均衡を保っていた派閥のバランスは崩れ、再び最大派閥の老論(ノロン)が官職を独占することになります。そして、第23代純祖(スンジョ)の后の実家が老論(ノロン)の中でもことさらに権力を掌握し独占し始めます。
この王権を超えた権力をかざして政治を取り仕切ることをの勢道政治(せいどうせいじ:セドジョンチ:세도정치)といい、その主人公で第23代純祖・第24代憲宗(ホンジョン)・第25代哲宗(チョルジョン)に対して、立て続けに后をあてがった家門こそが、ドラマでは左議政キム・ビョンヒが率いる安東金氏(アンドンキムシ:안동김씨)なのです。
彼らの腐りきった政治は約60年間続きました。それを打破しようとしたのがDr.JINの影の主人公とも言える興宣大院君(フンソンデウォングン:흥선대원군)李昰應(イ・ハウン:이하응)なのです。彼は王族の誇りを胸に、権力を不逞な臣下から奪還し、理想的な政治を実現するために邁進します。(肯定的解釈ですが:汗)
身分制度と天主教(チョンジュギョ:천주교:カトリック)
すでに朝鮮末期ですので、前記・中期などに比べると身分のタガもはずれてきています。賤民であってもお金さえ積めば免賤されて正式に良民になることができる時代でした。
また、以前に比べると商業行為が比較的自由に行えるようになっていたため、才覚のあるものは両班(ヤンバン)よりも良い暮らしをしていました。
改革王・第22代正祖(イ・サン)の時代には実学が盛んになります。それまでは儒教一辺倒だったのですが、社会に対して実利を伴う学問を一部の学者が学ぶようになりました。
それらは当時の中国王朝・清から流入してきました。そして、その中には西洋の学問を中国語に訳した書もあり、天主教(カトリック)もそのような流れで流入してきたのです。
正祖(イ・サン)はこの平等主義の教えを多少は規制したものの、あえて広域には規制しませんでした。北京に滞在していたイエズス会の宣教師たちは高度な科学知識も持ちあわせており、実学を導入するにあたり天主教とは完全に切り離せない側面があったからです。また、実学者の中には天主教の信者になるものもいました。
けれども、1800年、改革を断行してきた第22代正祖(イ・サン)が急逝し、保守派の老論(ノロン)が権力を手中に収めると、これまで政治の中枢にいた実学者たちを罷免します。
また、同時に西学(西洋の学問)を禁止し天主教の弾圧も行い、1801年(純祖1)には大粛清・辛酉迫害(シンユバケ:신유박해)が、1839年(憲宗5)には己亥迫害(キヘバケ:기해박해)が起こり全国的な天主教への迫害がありました。
天主教は18世紀後半から約100年余り、政治体制や国際関係にもからみ、常に迫害の対象で、大小10以上の迫害事件が起こっています。
安東金氏(アンドンキムシ)は時流の流れに呼応する時派(シパ:시파)で、身内に天主教信者が出たこともあり、比較的穏健的に扱いました。そのため、多くの宣教師が流入し書籍も広がって行きましたが、保守的な儒学との対立は避けられない時代でもありました。
信者は女性が多かったと言われていますが、両班の中にも信仰するものがいました。不完全ながら宗教の自由が朝鮮にもたらされたのは1886年です。この間は天主教不遇の時代といえるでしょう。
おまけ:怪疾(ケジル:괴질:コレラ)
朝鮮王朝実録でチェックしてみると、第24代憲宗(ホンジョン)・第25代哲宗(チョルジョン)・第26代 高宗(コジョン)の代に怪疾(ケジル)は発生していません。一番近くて1821年ですから、ドラマの設定の約40年前です。
当ページの短縮URL https://kjidai.com/drama/drjin/dr-jin%e3%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e7%9a%84%e8%83%8c%e6%99%af/