韓国ドラマあらすじ団OLD

過去に放送された韓国ドラマの情報をまとめている、韓国ドラマあらすじ団の別館です。

イ・ハウン→興宣君→大院位→興宣大院君

   

現在、Dr.JIN(ドクター・ジン:닥터 진:JIN-仁- 韓国版)を見ている方はオンタイムで見ていると思います。

韓国語のまま見ていると日本で発表される日本語字幕と違って、人物名が固定されてないため混乱する人も多いのではないでしょうか?

そんな例を少し紹介したいと思います。

李昰應(イ・ハウン:이하응:1820-1898)

王族なので李氏なのは当たり前ですね!日本では単に大院君(だいいんくん)として知られていますが、1841年(憲宗7)に22歳で興宣正(フンソンジョン:흥선정)となり、1843年に24歳でドラマにも出てくる名称の興宣君(フンソングン:흥선군)に冊封されます。「~君」というのは条件にもよりますが王の4~5代孫までの名称と思ってください。

興宣君の次男・命福(ミョンボク)が王に即位したのちには、よく知られている大院君(テウォングン)ではなく大院位大監(テウォンウィテガム:대원위대감)と呼ばれるようになりました。当サイトの訳ではこの大院位大監大院君と表していますが、実はドラマ内でも大院位と呼ばれています。安東金氏が尊敬せずに呼ぶときには単に大院位(テウォンウィ)と呼んでいますね。

趙大妃も目上なので大監(テガム)を端折ることがあります。または単に大監(テガム)と呼ぶこともありますね。大監は正二品以上の呼称です。

ジンヒョクは大院君を「オルシン」と、目上の男性への一般呼称で呼んでいます。実際の発音は連音化があるのでカタカナでは表現しにくいですが、強いてやると「テウォヌィ」に近いかもしれません。

結局のところハウンの名称は下記のように出世魚的に変化します。

イ・ハウン(本名)→興宣君(命福即位前)→大院位(命福即位後)→興宣大院君(主に死後または海外から)

ちなみに、大院君(テウォングン)という呼称自体はイ・ハウン特有のものではありません。直系の王統が途切れて傍系から王を迎えるときに、その王の父を大院君(テウォングン)に封じるのです。彼を含めて3名いるのですが、生前この地位についたのはハウンだけだったため、特に外国からはハウン=大院君(テウォングン)として認識されたわけです。

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